桜吹雪が舞う夜に

「まぁ、俺は今のままで十分あなたが嫌いですけどね。
 秘書との不倫現場とか抑えられないかなって、実は密かにいつも思ってるぐらいには」

皮肉を投げた俺に、向坂教授は驚いたように目を瞬かせ、それから堪えきれないとばかりに笑った。

「はは……御崎。君がそういうことを言うなんて、ちょっと新鮮だな」
笑ってはいるが、瞳は愉快そうに細められ、どこか底の見えない光を宿している。

「安心して。僕はそんなつまらない弱みを握られるほど間抜けじゃないし……」
言葉を切って、ゆっくりと俺を見据える。

「嫌いでいてもいいよ。ただ――その嫌いな上司に人生握られてる自覚くらいは、持っておいて」

笑顔のままの声音に、背筋が冷たくなる。
苛立ちを飲み込んでも、結局この男の掌の上からは逃れられない。


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