桜吹雪が舞う夜に
「でもおかしいなぁ。研修医の時はあんなに懐いてくれてたのに」
向坂教授は楽しげに目を細めた。
……どれだけ前の話を持ち出すんだこの人は。
確かに尊敬していた時期もあった。
ただ、その華々しい業績の裏で、彼に尊厳を奪われた人の存在に気づいてからは、彼を好意的に見ることは出来なくなっていた。
『あのデータ、君が出せなかったら僕が“代わりに”論文にしとくから。君の名前?二番目か三番目で十分だよね』
後輩に向かって、そんな言葉を笑顔で投げかける彼の姿を見た瞬間――
俺の中にあった尊敬は、音を立てて消え去った。
俺は一瞬も笑わず、低く返す。
「あの時は、あなたがこんなクソイカれサイコパスだと思ってなかったからですよ。
そもそも教授でもなかったでしょう」
わざと冷ややかな口調で言い放つと、彼は唇の端を上げた。
「へぇ……なるほど」
「今度、真面目にボイスレコーダーでも買おうかと思ってるんですよ。
あなたのアカデミックハラスメントすれすれの発言の数々を、世間に晒し上げるために」
挑発的にそう告げると、教授は声を立てて笑った。
「ははは。いいねぇ御崎、面白い冗談だ。
本気でやるなら止めないよ。ただ――その覚悟があるならね」
その笑みの奥に潜む冷たい光に、喉がひりつく。
冗談のつもりで言ったはずなのに、自分の胸の内がざわつくのを止められなかった。