桜吹雪が舞う夜に
店を出ると、夜の風が少し冷たく感じた。
繁華街のざわめきから離れると、不自然なほど静かで、桜の小さな足音がやけに耳についた。
さっきの朔弥の冗談がまだ彼女の胸に残っているのだろう。桜はうつむいたまま、ストールの端を指先でいじっている。頬に残った赤みは、酒のせいだけじゃない。
黙って歩いていると、余計に気まずさを強めてしまいそうで、不意に口を開いた。
「……ああいうの、気にしなくていい。あいつ、悪ノリが過ぎるんだ」
桜は驚いたように目を瞬かせ、小さく頷いた。
「は、はい……でも……ああいうの言われると、やっぱり……恥ずかしくて」
「普通の反応だ」
自分でも声が少し低く響いたのを感じる。
「……俺も、ああいう冗談は嫌いだ」
その瞬間、桜が少し目を見開いて、顔を上げた。
街灯の下で彼女の瞳と真正面からぶつかる。
怯えと安堵と、言葉にできない感情が混じった視線に、心臓が強く打った。
信号で立ち止まったとき、ふいに手が触れ合った。
反射的に引いたが、また近づけば重なりそうで、息が詰まる。
掴みたいのに、掴んではいけない気がして、結局何もできずに青信号を見上げる。
歩き出す桜の横顔を盗み見ながら、思った。
ーー本当に、この時間が止まってくれればいいのに。