桜吹雪が舞う夜に
食事を終えて駐車場へ戻ると、夜の海風が頬を撫でた。
車に乗り込むと、窓越しに街の灯りが流れて見える。
桜はシートベルトを留め、少しだけ肩をすぼめながら窓の外を眺めていた。
「……眠いか?いいよ、寝てて」
ハンドルを握りながら問いかけると、桜は慌てて首を振った。
「いえ……緊張してただけです」
「緊張?」
「……こんなに一日中、一緒に過ごしたのは初めてだから」
小さな声でそう言って、彼女は顔を伏せた。
赤信号で車を止めた瞬間、俺は不意にハンドルから手を離し、彼女の方へ視線を向けた。
ーーその頬が、街灯の淡い光で赤く染まっている。
「桜」
名前を呼んだだけで、彼女の肩が小さく揺れた。
ゆっくりと身を寄せる。近づく距離に、桜は戸惑いながらも目を逸らさなかった。
唇が触れる寸前、彼女の睫毛が震える。
次の瞬間、そっと柔らかい温もりが重なった。
最初は触れるだけ。
だが桜が小さく目を閉じて受け入れるのを見て、思わずもう一度、確かめるように口づけた。
「……っ」
彼女がかすかに息を呑む。けれど、拒む気配はない。
信号が青に変わる。
名残惜しく唇を離すと、桜は耳まで赤くしながら、視線を落とした。
「……日向さん、危ないです。運転中に……」
「赤信号だった」
短く答えると、彼女は困ったように笑い、膝の上でそっと拳を握った。
ーーもっと長く触れていたい。
けれど、今はそれ以上を求めてはいけないと自分に言い聞かせながら、再びハンドルを握った。