桜吹雪が舞う夜に
少し沈黙が流れた後、朔弥さんがふっと笑みを薄める。
「……俺もさ。昔は奏者を目指してたんだ」
「えっ……そうなんですか?」
思わず顔を上げた桜に、彼は片手をひらひら振ってみせる。
「昔の話だよー。結局、無理だって早々に分かったし」
磨きかけのグラスを棚に置き、どこか遠くを見るような目をする。
「日向みたいに才能なくてね。……俺、高校時代の日向のピアノを初めて聴いたとき、本当に衝撃受けたんだ。あれがきっと“プロになる人間の演奏”なんだって思った。俺はどうやっても、そこに届かない」
「……」
思わず息を呑んだ。普段飄々としている朔弥さんが、そんな風に自分を卑下するのは意外だった。
彼は小さく肩を竦める。
「俺はダメだよ。才能ない。だからこうして店をやってる。……でも、まぁ、それはそれで楽しいけどな」
その声は冗談めかしていたけれど、わずかに滲む本音の苦さを聞き取ってしまった。胸がきゅっと締めつけられる。
ーー日向さんのピアノ。圧倒的で、誰かをこんなにも動かしてきた。
それを思うと、誇らしいような、少し怖いような気持ちが入り混じった。