桜吹雪が舞う夜に


病室の静けさの中。
理緒がようやく眠りにつき、カーテン越しの灯りが柔らかく落ちていた。
気配のない廊下に桜の声がぽつりと響いた。

「日向さんの親って、牧師さんなんですか? すごいですね」

唐突な問いに、思わず眉を上げる。
……どうしてそれを知っている?と一瞬訝ったが、理緒がぽろっと話したのかもしれない。
「……そうだよ」
苦笑に近い息が漏れる。
「まぁ、俺にとっては当たり前の家庭だったけどな」

桜は大きな瞳を丸くして、それでもなお質問を重ねてくる。

「日向さんって、どんな本を読むんですか?」

(……本か)
専門書や論文ばかりで、胸を張って言えるような趣味じゃない。
けれど真剣に聞いてくる視線に、つい正直に答えてしまう。
「専門書ばっかりだな。……あとは音楽の本や哲学書を少し」

予想外に彼女が小さく頷き、「へぇ」と呟く。その何気ない反応だけで、なぜか心臓の鼓動が速くなる。

そして次の問い。

「どうして、医師になろうと思ったんですか?」

一瞬、答えに詰まった。
言葉にしてしまえば軽くなる気がして、黙り込みそうになる。
けれど真剣に見上げてくる視線を前に、逃げることもできなかった。

「……誰かの痛みに、手を伸ばせる人間になりたかったから」

自分で口にしながら、あまりに青臭い理由に少しだけ照れ臭さが込み上げる。
だが、桜の目は真剣そのものだった。

しばらく沈黙が落ちたあと、彼女はさらに声を絞るようにして聞いた。

「……恋人は、いますか?」

一瞬、時が止まった。
問いの意図を測りかねる。
ーーただの好奇心か、それとも。

「……いないよ」
短く答えた。

彼女が小さく息を呑む気配が伝わる。
その反応に、胸の奥が不意にざわめいた。

(……何をしてるんだ、俺は)

医師と患者の友人。
その一線を越えてはいけないのに。
それでも彼女との会話は、不思議なほど心を軽くするのだった。

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