桜吹雪が舞う夜に
「……ありません」
桜は小さく首を振り、視線を落とした。

その一言に、胸の奥がざわめく。
分かっていたことだ。それでも、耳にした瞬間、喉が焼けるように熱くなる。

彼女の細い肩に腕を回したまま、言葉が漏れた。
「……俺と、そういうことをするって、考えたことは?」

一拍。彼女のまつ毛が震えた。
頬が赤くなり、息が詰まるように喉が動く。
返事はない。けれど、拒絶の仕草もまたない。

理性は、ここで引き返せと叫んでいる。
だが、彼女の沈黙が「完全な拒否ではない」ように思えて、熱がさらに膨れ上がっていく。

じっと目を閉じて、彼女が口を開くのを待った。

「……すみません。今は、まだ、考えられない。

……できません。私には」

震える声を聞きながら、俺はしばらく目を閉じた。
抱きしめているのに、まるで遠い。そんな感覚が胸を締めつける。

「桜が望むなら、いくらだって待てる」
静かに言葉を紡ぐ。だが、次の言葉はどうしても抑えられなかった。
「……ただ、考えてみてほしい。俺は、正直、今すぐにだってしたいと思ってる」

押し殺してきた欲望を、つい吐き出してしまう。
自分の声がやけに低く響いて、部屋の空気をさらに熱くした。

桜の肩がわずかに揺れた。
彼女の透明さを帯びた蜂蜜色の瞳からは、完全に恐怖の色しか読み取ることは、出来なかった。


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