桜吹雪が舞う夜に
片付けがひと段落した静かな店内。
水の滴る音と、グラスの触れ合う微かな響きだけが残っていた。
胸の奥で、ずっと気になっていたことがあった。
喉までこみ上げてきて、とうとう言葉になってしまった。
「……朔弥さん」
「んー?」
カウンター越しに顔を上げた彼が、手にしたグラスを拭きながらこちらを見る。
息を吸い込んで、勇気を振り絞る。
「……付き合うことに、身体の関係は必須だと思いますか」
自分で言った瞬間、心臓がどくんと大きく鳴った。
耳の奥まで熱くなっていくのがわかる。
「……ピュアな質問」
グラスを持つ手を止めた朔弥さんは、片眉を上げて微笑した。
「日向と……なんかあったんだな」
図星を突かれて、慌てて視線を落とした。
返事はできず、ただ頬がますます熱を帯びていく。
「びっくりしたよー。あの日向が半年も手出してないっていうんだからさ。……あいつがそんな我慢できるとは思わなかった」
軽くからかうように言った声は、でもすぐに真剣味を帯びる。
「……ごめん。答えが欲しいんだよな」
そう言ってカウンターに肘をつき、少し考えるように目を伏せる。
「んー……それは“大人としての回答”を期待してるのか、それとも“日向の親友としての回答”を期待してるのかによるかな」
少し迷ってから、私は小さく首を傾げた。
「……両方、聞きたいです」
「そうか……」
朔弥さんは苦笑し、指先でグラスの縁をなぞった。
「大人としては、ノー。正直、身体の関係なんて持ったって、後に引けなくなることも多い。桜ちゃんがしたくないなら、そう正直に言えばいい。愛情の伝え方なんて他にいくらでもあるし」
その言葉に、胸の奥で少しだけ重荷がほどけるような気がした。
……やっぱり、無理にしなくてもいいんだ。
でも、次に告げられた言葉が、心をきゅっと締めつけた。
「でも――日向の親友としては、正直あいつとしては、辛いだろうなって思う。俺は同情するよ」
「……」
言葉が出なかった。
ただ指先でカウンターの木目をなぞりながら、胸の奥に小さな棘が刺さるみたいな感覚が残っていた。