桜吹雪が舞う夜に
「でも……」
自分でも驚くほどか細い声が喉から漏れた。
「どうしても、怖いんです」
言った瞬間、胸の奥がずきりと痛んだ。
朔弥さんは手を止めて、しばらく黙ったまま私を見つめていた。
その視線に耐えきれず、私は下を向いたまま言葉を継いでしまう。
「……何をされるのかも、ちゃんとは分からないし……痛いって聞くし。もし嫌われたらどうしようって……そう考えると、踏み出せなくて」
吐き出した途端、頬がかぁっと熱くなる。
耳まで真っ赤に染まっているのが自分でも分かった。
「……なるほど」
低く相槌が返る。カウンターに置かれるグラスの音が、やけに大きく響いた。
「いやぁ……ほんとピュアだな。さすが日向の彼女だ」
わざとおどけたように言われても、彼の目が真剣なのは感じ取れた。
「いいか桜ちゃん。少なくとも、あいつは君を乱暴に扱うような奴じゃない。俺なんかよりずっと優しくて、律儀で、真面目すぎるくらいだ」
はっとして、ゆっくりと顔を上げた。
胸の奥で固く縮こまっていた何かが、少しだけほどけていくのを感じる。
「だから、“嫌われる”なんて心配はまず要らないよ。むしろ今のあいつのが不安で仕方ないはずだ。半年も我慢してるんだからな」
肩をすくめながらも、声はあたたかかった。
「……でも、もし君が怖いなら、怖いって伝えればいい。それだけで十分。愛情の形に“正解”なんてないんだから」
胸の奥に、じんわりと温かいものが広がる。
「……ありがとうございます」
小さな声でそう言うと、ようやく息がつけた気がした。
朔弥さんは快活に笑い、またグラスを磨き始める。
「おう。まぁでも、日向にあんまり焦らせんなよ?あいつ、我慢しすぎて壊れそうだからな」
「……っ!」
思わず吹き出してしまい、慌てて口を押さえる。
すぐに顔を赤くして俯いた。
(……私、本当に子どもだな)
でもそのとき、心の奥底でほんの少しだけ、不安の棘が和らいでいた。