傲慢外交官との政略婚

第五章 決裂

 真壁との距離は、日に日に広がっていった。
 あの外国人女性の件以来、会うたびに心のどこかで壁を作ってしまう。
 彼が何を言っても、全てが外交官の「方便」に聞こえてしまうのだ。

 そんなある日の午後、私は父の代理で、都内の国際ホテルで行われる業界懇親会に出席することになった。
 主催者リストには、真壁の名前もある。
 会場のドアを開けた瞬間、予感は確信に変わった。

 ――彼がいる。
 それだけならいい。
 だが、彼はあの外国人女性と並んで立っていた。
 しかも彼女は彼の腕に手をかけ、親しげに何かを囁いている。

 息が詰まり、足が止まった。
 私に気づいた真壁は一瞬だけ表情を変えたが、すぐに何事もなかったかのように笑顔を取り戻す。
 その笑顔が、私の胸に深く突き刺さった。

 

 懇親会の最中、私は極力彼に近づかないようにしていた。
 けれど、目は自然と彼の姿を追ってしまう。
 外交官らしい洗練された立ち居振る舞い。
 女性が何か話すたびに、軽く頷き、笑う。
 ――その笑顔、私にはくれなかったじゃない。

 苛立ちと寂しさがないまぜになって、胸の奥が苦しくなる。
 その時、背後から声がかかった。
 「藤崎さん、こちらに」
 振り返ると、別の商社の役員が立っていた。
 名刺交換をして数分話していると、不意に腕を取られた。

 「失礼します」
 低く、よく通る声。
 真壁が間に割って入ってきた。
 「彼女は私と同席の予定です」
 役員は苦笑いして去っていったが、私は腕を振り払った。
 「何なんですか」
 「あなたが他の男と親しげにしているのを見ると、どうにも……」
 「どうにも?」
 「……腹立たしい」

 予想外の言葉に、心がわずかに揺れた。
 けれど、それはすぐに冷たい感情に覆われる。
 「じゃあ、あなたは? あの女性と腕を組んでたじゃないですか」
 「それは――」
 「仕事? 方便? もう聞き飽きました」
 言葉が鋭くなっているのは分かっていたが、止められなかった。

 

 懇親会の後、彼に半ば強引に連れられてホテルのラウンジに入った。
 「説明します」
 「必要ありません」
 「ある」
 低く抑えた声が、妙に真剣だった。
 「彼女は、以前僕が海外赴任していた時の仕事仲間です。今回も案件で同席しただけで、それ以上でも以下でもない」
 「……じゃあ、なぜあんなに近かったんですか」
 「彼女の国ではあの程度の距離は普通です」
 そう言われても、胸のわだかまりは消えなかった。

 沈黙が落ちる。
 窓の外では雨が降り出していた。
 真壁がグラスを置き、私の方を真っ直ぐに見た。
 「藤崎さん。あなたは、僕を信じられますか」
 その問いは、あまりにも直球で、逃げ場がなかった。
 信じたい。でも――
 「……分かりません」
 私の答えに、彼はほんのわずかに目を伏せた。
 「そうですか」
 それだけ言うと、彼は会計を済ませ、雨の中へ出て行った。

 私は追わなかった。
 追えば、また言い訳と駆け引きの中に引き込まれる気がしたから。
 残されたのは、冷めかけた紅茶と、胸の奥に広がる空虚だけだった。

 

 その夜、携帯にメッセージが届いた。
 《しばらく距離を置きましょう》
 短い文章。それ以上は何もない。
 私はスマートフォンを握りしめたまま、返事を打てなかった。
 窓の外の雨音が、やけに遠くに聞こえた。
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