大嫌い!って100回言ったら、死ぬほど好きに変わりそうな気持ちに気付いてよ…。

第121話 伝えたつもりと、伝わったつもり

 翌日。

 メールを開いたまま、私はしばらく指を動かせずにいた。

──望月瑠奈からの、あの一文が頭から離れない。

《先輩にも、ちゃんとお伝えしておきたくて》

(“ちゃんと”って……何を?)

 昨夜は結局、返事もできないまま眠ってしまった。

 平田さんの顔が浮かんでは消え、瑠奈の笑顔がそのたびに重なって、胸の奥がざわざわと落ち着かなかった。

 

 出社してすぐ、オフィスはいつもより少し騒がしかった。

「平田さん、今日の午後、外出ですよね」

「うん。クライアント先で打ち合わせ」

 聞こえてきたその会話に、私は無意識に耳を澄ませてしまう。

(望月さんも、一緒……?)

 胸がきゅっと縮んだ、そのとき。

「中谷先輩」

 背後から、明るい声がする。

 振り返ると、そこには望月瑠奈が立っていた。

「昨日のメッセージ、見てくれました?」

 あまりにも自然な笑顔に、私は一瞬だけ言葉を失った。

「……うん。見た」

「あ、よかったです」

 少しだけ、瑠奈はほっとしたように微笑む。

「昨日、平田さんと少しだけお話しする時間があって……」

 その言葉だけで、私の心臓は嫌な音を立てた。

「“少し”?」

「はい。今後のこととか、仕事のこととか……色々」

 “仕事のこと”。

 本当に、それだけだろうか。

「それで……私、正直に言ったんです」

 瑠奈は、まっすぐに私を見る。

「平田さんのこと、尊敬してますって。……それ以上の気持ちも」

 頭の中で、何かが、パチンと音を立てて弾けた。

「……告白、したの?」

「告白、っていうほど大げさじゃないですけど」

 そう前置きしながら、瑠奈はしっかりとうなずいた。

「でも、“好き”って気持ちは、ちゃんと伝えました」

 世界が、一瞬だけ無音になる。

 オフィスのざわめきも、キーボードの音も、全部が遠くなった。

「それで、平田さんは……?」

 自分でも驚くほど、声が震えていた。

「“すぐに答えは出せない”って」

 瑠奈は少しだけ苦く笑う。

「でも、“中谷先輩のことも気にしてる”って、正直に言ってました」

 胸の奥が、ぎゅっと締め付けられる。

(……まだ、私は“候補”の中にいる)

 安堵と、不安と、自己嫌悪が一気に押し寄せた。

「だから、私も言いました」

 瑠奈は静かに続ける。

「先輩の気持ちが分からないまま、待つのは不安だって」

 私は思わず視線を逸らした。

(分からないまま、にしてるのは……私だ)

「中谷先輩」

 瑠奈は一歩、私に近づいた。

「平田さんのこと、どう思ってるんですか?」

 真っ直ぐすぎる問い。

 逃げ場のない質問。

「……上司です」

 反射的に、いつもの答えが口をついて出た。

 瑠奈は、少しだけ困ったように笑った。

「それ、本心ですか?」

「……」

 答えられない私を見て、瑠奈は小さく息を吐いた。

「じゃあ、私はもう遠慮しません」

 はっきりとした声だった。

「先輩が“上司”って言うなら、私は“好き”って言い続けます」

 その宣言は静かで、でも迷いのないものだった。

「それでも、いいですよね?」

 私はうなずくことも、否定することもできなかった。

 

 昼休み。

 社内の片隅で、美鈴にすべてを打ち明けた。

「……瑠奈、告白したんだ」

 美鈴が目を丸くする。

「うわぁ、直球だね」

「平田さん、“すぐには答えられない”って」

 美鈴は腕を組んで、少し考え込んだ。

「それ、逆に言えば“可能性は残してる”ってことじゃない」

「……うん」

「で?」

 鋭い視線が刺さる。

「朱里は? 何て言ったの」

「……相変わらず、“上司です”って」

 美鈴は天を仰いだ。

「はい、出た。“自滅ワード”」

「分かってるよ……」

「分かってるなら、やめなさいよ」

 正論が、容赦なく胸に突き刺さる。

「このままいったらね」

 美鈴は真顔で言った。

「平田さん、“優しいから”瑠奈ちゃんを選ぶよ」

「……」

「朱里が動かない限り」

 心臓が、どくんと嫌な音を立てた。

(動けって……どうやって)

 今さら、どんな顔で。

 どんな言葉で。



 午後。

 平田さんは予定どおり外出した。

 席を立つ背中を、私は何度も盗み見てしまう。

(行かないで、って言えなかった)

 スマホが震えた。

 ──平田さんからの、個人宛メッセージ。

《今日は直接話せないけど、ちゃんと向き合って考えてる。少しだけ、待ってほしい》

 胸の奥が、じわりと熱くなる。

(向き合ってる……私のことも)

 でも、同時に怖かった。

 “選ばれる”かどうか、が決まる瞬間が、近づいていることが。

(私は、まだ何も伝えてないのに)

 その夜、自宅で一人、天井を見つめたまま動けずにいた。

 スマホは握ったまま。

 送る言葉が、見つからない。

「……私、何回“大嫌い”って言ったんだろ」

 小さくつぶやいて、苦く笑う。

「好きって、一回も言ってないのに」

 このままじゃ、本当に──

 言えないまま、終わる。

 そんな予感が、現実味を帯びて胸に迫っていた。
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