大嫌い!って100回言ったら、死ぬほど好きに変わりそうな気持ちに気付いてよ…。

第122話 選ばれる前に言えなかったこと

 翌朝。

 目覚ましが鳴るより早く、私は目を覚ました。

 昨夜、平田さんからのメッセージに返事はしないままだった。文章を打っては消し、打っては消し……結局、何も送れずに朝になってしまった。

(“少し待ってほしい”って言われたのに……。

 私は、“待つ側”にすら、なれてない)

 重たい気持ちを引きずったまま、出社した。



 オフィスでは、いつもと同じ朝が流れていた。

 コピー機の音、電話の着信音、誰かの笑い声。

 でも、私だけが、違う世界にいるみたいだった。

「中谷先輩、おはようございます」

 背後から声をかけられ、振り向くと瑠奈。

「……おはよう」

 昨日のやり取りのあとなのに、瑠奈はいつもと変わらない笑顔だった。

「今日、平田さん、戻りは夕方みたいですね」

 ぎくりと心臓が跳ねる。

「……そうなんだ」

「はい。出先から直帰って言ってました」

(直帰……)

 今日も、直接話せない。

 ──その事実に、ほっとする気持ちと、焦る気持ちが同時に湧いた。

「先輩」

 瑠奈が、ふっと声のトーンを落とした。

「昨日の話、変に思ってたらごめんなさい」

「……」

「でも、私、後悔したくないんです」

 迷いのない瞳だった。

「平田さんが誰を選んでも、ちゃんと納得したいから」

 その言葉は、真っ直ぐで、優しくて、強かった。

(私は……納得できるのかな)

 自分が、何も言わないままで。



 昼休み。

 私は再び、美鈴に呼び出された。

「朱里、顔、死んでる」

「……それ、簡潔すぎない?」

「いや、事実」

 美鈴は真顔で私を見て言う。

「昨日の話、進展あった?」

「……瑠奈から、告白したって聞いた」

「うわ、やっぱり」

 美鈴は軽くため息をついた。

「で、平田さんの反応は?」

「“すぐには答えられない”って」

「それ、朱里の優柔不断と同じくらい、残酷なやつだね」

「……」

「で? 朱里は、何か言ったの?」

 私は首を横に振った。

「“上司です”って……また言った」

 美鈴は頭を抱えた。

「あんた、それ墓穴って言うんだよ」

「分かってる……」

「分かってない!」

 珍しく声を荒げて、美鈴は続けた。

「朱里、“大嫌い”って言葉で守ってきたのは、自分でしょ」

 胸に、ずしりと響く。

「嫌われたくないから、先に突き放す。傷つく前に、距離を取る」

 それは、まるで私の心をそのまま言葉にされたみたいだった。

「でも今回ばっかりは、そのやり方──本気で後悔するよ」

「……」

「平田さんが、瑠奈ちゃんを選んだら」

 美鈴は、私の目をまっすぐ見た。

「朱里、“大嫌い”のまま、終わる可能性、ある」

 その言葉に、息が詰まった。

(“好き”って言えないまま、終わる……?)

 そんなの、あまりにも、残酷すぎる。



 夕方。

 平田さんは、結局そのまま直帰だった。

 オフィスを出る背中を見ることもできなかった。

 帰宅途中の電車。

 私はスマホを握りしめたまま、ずっと画面を見つめていた。

《今日は直接話せないけど、ちゃんと向き合って考えてる。少しだけ、待ってほしい》

 その一文が、胸を締めつける。

(平田さんは、ちゃんと向き合おうとしてるのに……。

 私は、何も伝えてない)

 指が、震えた。

 送信画面を開く。

 何度も、文字を打っては消す。

《今日は……》

《昨日のことなんですけど……》

《やっぱり、私……》

 どれも、途中で消えてしまう。

 そのまま、ホームに降りた。

 雨上がりの夜風が、少しだけ肌に冷たかった。

「……このままじゃ、ダメだ」

 小さく、そう呟いた瞬間──

 スマホが、再び震えた。

 平田さんからのメッセージ。

《明日、少しだけ時間もらえますか。ちゃんと話したい》

 心臓が、どくんと大きく鳴った。

(“ちゃんと話したい”……)

 逃げ道は、もうない。

 選ばれる前に。

 終わらせてしまう前に。

 私は、ようやく短い返事を打ち込んだ。

《……はい》

 送信。

 その一文字だけで、胸が押し潰されそうになる。

 “選ばれる”かどうかじゃない。

 “伝える”かどうかだ。

 ずっと、「大嫌い」で逃げてきた私が。

 初めて──

 “本当の気持ち”と向き合う夜が、近づいていた。

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