先生、迎えに来ました
1.結婚しましょう!
佐藤ひまり、女、独身、三十四歳なりたて。

結婚は諦めて、一人で生きていくのもいいかなと考え始めた残暑の折。

仕事を終え勤務先のビルを出ると、一人の男性の姿が目に入った。
仕立ての良さが一目でわかる服装は、余裕ある大人の雰囲気を醸し出している。
こういう人をイケメンと呼ぶのだろうかと感心していると、男性と目が合った。

男性はひまりを視認すると、長い足で三歩距離を詰め、爽やかな笑顔でこう言った。

「先生、迎えに来ました! 結婚しましょう!」

数秒の沈黙の(のち)

「……え?」

ひまりが口にできたのは一音だけだった。

こんなイケメンの知り合いはいない上に、いきなりプロポーズをするような危ない人とお近づきになった覚えはない。
ひまりは身を縮め、ショルダーバッグの持ち手を強く握った。

そんなひまりの様子に気づき、男性は申し訳なさそうに笑った。

「驚かせてすいません。高瀬蓮(たかせれん)です。お久しぶりです」

どうやら相手はひまりを知っているようだった。
ひまりは記憶の棚を探った。

「高瀬……塾で教えてた高瀬君!」

十二年分の引き出しをひっくり返し、ようやく目の前の人物が、大学四年時に一年だけアルバイトをした塾の生徒であることを思い出した。

「そうです。その高瀬です。やっと思い出してくれましたね」

高瀬が嬉しそうに笑った。
その笑顔には、たしかに昔教えた生徒の面影があった。
しかし、目の前に立っているのは明らかに大人の男性であり、高校生の高瀬とはまったく違う(さま)をしていた。

「全然、わからなかった。どこのイケメンかと思った」
「それは嬉しい反応です。この日のために努力しましたので」

先ほどの唐突なプロポーズといい、今の発言といい、高瀬の言葉にひまりは戸惑った。

「ごめん、高瀬君の言ってることがよくわからない」
「全然覚えてないんですか?」
「なんのこと?」
「約束したじゃないですか」
「何を?」
「結婚を」

ひまりは沈黙した。

彼は一体なにを言っているのだろうと、ひまりが(いぶか)しんでいると、少し後ろで自動ドアが開く音がした。

「ここでの立ち話は迷惑になりそうです。場所を変えませんか?」

ひまりはしぶしぶ頷いた。
すると、高瀬はひまりの手首をためらいなく掴み、道路に向かって歩き出した。

「どこに行くの」
「僕たちの将来についてゆっくり話せる場所です。乗ってください」

高瀬に促された先には、メタリックブルーの車が路上駐車されていた。
車種こそわからないが、外車かつお値段が高い車であることは、ひまりにもわかった。

高瀬がドアを開け、ひまりの背を押すと、ひまりの体は自然に助手席におさまっていた。
ひまりは元生徒の華麗なる成長に、ただただ感心するばかりだった。
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