告発のメヌエット

第20話 泥沼


 エリックたちは、先日訪れた小さな酒場「馬車馬」にいた。
 平日だからだろうか、そこは相変わらず閑古鳥が鳴いていた。
 
 トーマスはカウンターに大銀貨を1枚出して、

「店主、スコッチを頼む。2つだ。」

 店主はすぐに、彼等だとわかり、ショットグラスに2杯の酒を出した。

「アレはお持ちですかい?」

「ああ、これだろ?」

 そう言ってエリックがこの店のマドラーを見せると、

「今日はチーズがサービスだ。」

 ナッツとともに一皿出した。

 店主はこちらをちらちら見ながら、奥にいる客の応対をしていた。

「今日は先客があるようだ。たまにはゆっくり飲もう。」

「いいですね、こうしてうまい酒が飲めるのはうれしいですよ。」

「あんまりはしゃいでくれるなよ。」

 と言いつつ、トーマスも機嫌が良かった。

「おい、『ソイツ』はここではやらねぇでくれ。」

 店主が客に向かっていった。 
 ほどなく店内には異様な甘い香りが漂った。
 客はしぶしぶ「ソイツ」の火を消して、席を立った。

「15Gだ。」

 店主がそう言うと、客は巾着からコインを出して、無言で立ち去った。

「まったく、店の中で『葉っぱ』をやろうとは、どういうつもりかね。
 ニオイがとれねえんだ。
 次の客がこのニオイを嗅ぎつけて、また『葉っぱ』を出すんだよ。
 ここなら大丈夫だと思って。
 だからニオイは残しておけねえのさ。
 連中妙に鼻が効くからな。」

「ふむ、その『葉っぱ』は誰にでも手に入るものなのか?」

「ああ、路地裏で売人が立ってるよ。1本5Gぐらいだろ。」

「そんなに高いのか? 上等な葉巻の何倍だ?」

「『葉っぱ』をやるとな、抜け出せなくなるんだよ。
 その時にはいい気分になるようだが、時間が経つとイライラしだして、また欲しくなるんだと。
 そいつらは多少高くても買うんだよ。」

「高いからやめるってわけにはいかないのかい。」

「ああ、我慢すると気がふれたようになるって話だ。
 あんなのには手を出さないに限るな。」

「すっかり金を巻き上げられた連中は、仕舞にはどうなるのだ?」

「ほれ、路地に居座っている連中がいるだろう?
 誰かの吸い殻を漁っているのさ。
 もう『葉っぱ』に取りつかれた連中だよ。
 金もなく棲み処もねぇ。
 たまに死ぬやつもいるからな。
 その前に巡回警備に引き取ってもらうのさ。」

 トーマスがエリックに無言で視線を送ると、

「ええ、一応身元の確認もしていました。
 家族がいれば、行方不明の届けがあって、大体発見して帰されるのですが、そうなる前に死んだ者もいました。」

「つまりカミル様も路上で保護されたのは、そういういきさつだったと。」

「おそらくは。
 早めに保護してそうならないようにしているのです。」

 店主はその話を聞いて、興味を持ってエリックに尋ねた。

「受け答えができないくらいに狂っちまった奴はどうなるんで?」

「俺も詳しくはないが、収容所に送られてな、治療を受けるのさ。
 と言っても何もない部屋に閉じ込めて、泣き叫ぶのが収まるまで待つ。
 それが過ぎるとじきにおとなしくなるらしい。
 そこから復帰するやつもいれば、そこから出られないやつもいるらしい。」

「いずれにせよ、待ち構えているのは地獄だな。」

「ちげえねぇ。」

 店主もうなずいていた。


「ところで今日は何を探りに来た?」

 エリックが慌てて周囲を見回すが、

「心配するな。
 客は今ので最後だ。」

 トーマスはコレットから預かったマドラーを見せて、

「これが何かわかるか?」

「そいつは、その、あれだ。
 『上』が関わっている店だな。」

 店主の反応はいま一つだった。
 トーマスはさらに大銀貨2枚をカウンターに置いた。

「……俺が言ったことは内緒だからな。」

 トーマスはエリックに目配せをした。
 エリックは二人に背を向けて周囲を警戒していた。

「そいつはキャバレー『エデン』のものだ。裏に刻印と番号があるだろ。」

 トーマスがマドラーを見ると、紋章のような装飾の裏側には確かに、「G076」と刻印があった。

「あの店では顧客にランク付けをしていて、それに応じて通す部屋が違うんだと。
 あと、そのマドラーは誰の持ち物かを把握している。
 番号がついているのは、身元が分かっているというわけだ。」

「ほう、それなら上客というわけだな。」

「ちげえねぇ。
 しかもGって言うのは最上級の『グランデ』という意味だ。」

「そこで何が行われている?」

「そこまでは知らねえ。
 店も客も秘密にしているからな。
 それを持っていれば本人か、または招待された人物というわけだ。」

「そこは『葉っぱ』とかかわりのある店なのか?」

「……あくまでも噂だ。
 要人がそんな遊びをしたと世間に知れたらやばいだろ。」

「ああ、今日聞いた話は酒場の他愛もないうわさ話だったな。」

「ありがてえ。」

 店主はショットグラスに酒を注ぎ、

「飲んでいくんだろ? お代は十分だ。」

 そのあとは巷で話題の新しいスポーツの話、草競馬の話など、およそ庶民の話題について店主とともに語っていた。

「なぁ、俺は早くこんなところからは出ていきたいんだ。
 俺がここで酒場を始めたのはな、労働者も気軽に酒が飲める店をやりたかったんだ。
 初めのうちはにぎやかで、みんな金はないが活気があった。
 ところがどうだ、あの『エデン』が来てからすっかり変っちまったのさ。」

「それならなぜ店を続けているんだい?」

「ただの惰性さ、『馬車馬』にはほかにやることもないんでな。」

 店主は寂しそうにつぶやいた。

「世話になった。また来る。」

「ああ、いつでも話し相手になるぜ。」

 二人は店を後にした。
 ふと路地に目をやると、浮浪者たちが呆然と街を眺めていた。
 その様子を見て「葉っぱ」が街のありようをこうも変えてしまうのだと身震いがした。
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