野いちご源氏物語 三七 鈴虫(すずむし)
十五夜(じゅうごや)の夕暮れ時、尼宮(あまみや)様は縁側(えんがわ)近くまで出て、なんとなくお(きょう)を読んでいらっしゃる。
若い尼姿(あますがた)女房(にょうぼう)たちが、仏様にお花をお(そな)えしている。
これまでの姫宮(ひめみや)様のお部屋とは全く違う雰囲気なの。

そこへ源氏の君がいらっしゃった。
「虫の音がやかましいほどですね」
ご自分もよいお声で静かにお経をお読みになる。
松虫(まつむし)の声がよいと中宮(ちゅうぐう)様がおっしゃって、遠い野原で集めたものを秋の御殿(ごてん)のお庭に(はな)されましたけれど、あまり鳴き声が聞こえませんね。か弱い虫のようです。それとも、誰も聞いていないような山奥では思う存分(ぞんぶん)鳴くが、連れてこられた屋敷の庭などでは鳴いてやらぬと思っているのだろうか。一方鈴虫はこちらに慣れてよく鳴いている。かわいらしいものですね」

尼宮様は、
「秋なんて物悲しいだけでつまらない季節だと思いますが、鈴虫の声だけはよいものです」
と小さなお声でお返事なさる。
上品でおっとりしたご様子なの。
「私に飽きてしまわれたからどの季節もつまらなくお思いなのでしょう。悲しいことです。鈴虫だって本当はこの家が嫌だろうが、我慢してかわいらしい声を聞かせてくれている。あなたにそっくりですね。私はそういうあなたや鈴虫を愛しいと思っていますよ」

ひさしぶりに源氏の君が(きん)をお弾きになる。
尼宮様はかつて熱心に習われた楽器だから、音色をじっくりとお聞きになっている。
月が出て明るく照らすので、源氏の君は空を(なが)めながら、変わっていく女君(おんなぎみ)たちのことを思われた。
いつもよりしみじみとした音色が響きわたったわ。
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