温厚専務の秘密 甘く強引な溺愛
龍之介が携帯を耳に当てると、低く短く言葉を交わした。

「ああ、俺だ。……松田専務もいる。上がったほうがいいか? それともここで待っていたほうがいいか? ……わかった、今上がる」

通話を切ると同時に、龍之介は立ち上がり、圭吾を見据えた。
「行くぞ」

「……どこへ?」
圭吾が思わず問い返す。

龍之介の口から返ってきた答えは、圭吾の胸を撃ち抜いた。
「真樹の自宅だ。このマンションの最上階だ」

一瞬にして張り詰める空気。
圭吾は言葉を失い、ただ龍之介の背を追った。

インターホンを鳴らすと、扉が開き、姿を現したのは美和子だった。
「いらっしゃい、圭ちゃん。久しぶりね」

その親しげな呼びかけに、美咲と龍之介は思わず目を見合わせる。
「……お知り合いだったんですか?」

奥から現れた真樹が説明するように笑った。
「圭吾さんと美和子は遠い親戚なんだ」

「そうよ。裸の付き合いなの」
美和子がさらりとおどけて言い放った瞬間、龍之介と美咲の表情がぎょっと固まる。

圭吾はすかさず手を上げて制した。
「美和ちゃん、誤解を生むようなことを言わないでくれ。裸でプールに入ったのは、幼い頃の話だろう」

美和子はくすりと笑い、「あら、そうだったわね」と肩をすくめる。
圭吾は咳払いをして促した。
「……さ、上がって」

「圭ちゃんたら、真樹さんのところの優秀な女性社員を二人もたぶらかして……ダメじゃない」
美和子が茶目っ気たっぷりに笑いながら口にした。

龍之介と美咲が思わず顔を見合わせる。
圭吾は苦笑しつつも言葉を失った。

だが、その空気を真樹の低い声が一刀両断する。
「……美和子。時間がもったいない。本題に入るぞ」

美和子は肩をすくめ、口を閉じた。
リビングに張り詰めた沈黙が落ちる。

真樹は圭吾を正面から見据え、言葉を選ぶように告げた。
「圭吾さん、これから話す内容は法律が絡んでくる。そして社会的立場や企業のイメージにも直結することだ」

圭吾の背筋が伸びる。

「ことが明るみに出るまでは、決して他言してはならない。俺としては……穏便に済ませるつもりはない。むしろ、全社員に知らしめるために、大々的にやるつもりだ」

「……落合さんの件だけじゃないんだ」

その一言に、場の空気が一気に張り詰める。
紅茶の香りすら薄れていくような緊張が、全員を包み込んだ。

真樹の声音がさらに低くなる。
「……落合さんに関する噂。あれは、単なる陰口や妬みではない。社内の一部が意図的に流した、計画的な中傷だ」

圭吾の眉が険しく動く。

「俺は証拠を押さえた。メールのやり取り、匿名を装った掲示板の書き込み――全部、同じ人物たちに繋がっている」

美咲が息を呑み、龍之介も背筋を伸ばした。

「これは落合さん一人に対する問題ではない。これまでにも何人もの女性社員が標的にされ、キャリアを潰されてきた。社内の体質そのものにメスを入れる必要がある」

真樹の眼差しが鋭く光る。
「俺はこれを表沙汰にする。隠して済ませるつもりはない」

真樹はゆっくりと立ち上がり、窓辺に歩み寄った。
その背中には、数々の困難を乗り越えてきた絶対的経営者の姿があった。

「……残念なのは、思ったよりも時間がかかっていることだ。その結果として、落合さんの退職届を受理する形になってしまった」

淡々とした声音に、圭吾の胸が締めつけられる。

「社員を守り切れなかった。これは俺の落ち度だ」
そう言いながらも、真樹の姿には一片の迷いもない。窓越しに広がる街を見据えるその眼差しは、冷徹さと決意に満ちていた。

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