籠姫と寡黙な皇帝と、転生皇后

第五章 籠姫の逆襲

 穏やかな日々は長くは続かなかった。
 月下の小演奏会からわずか一週間後、宮廷の廊下には妙な噂が流れ始めていた。
 ――「皇后陛下が、地方貴族と密会しているらしい」。
 聞くだけで荒唐無稽だとわかる話だが、囁く声には確かに悪意が宿っていた。

 その日の午前、侍女ティナが青ざめた顔で駆け込んできた。
 「皇后陛下……! 籠姫様が、“茶会”を開くと……招待状が」
 手渡された厚紙には、流麗な筆跡で“ご出席の栄誉を”と記されている。
 ――籠姫エルミナの誘いは、断れば“非礼”、受ければ“罠”だ。
 私は深く息をつき、静かに頷いた。
 「出席するわ。……逃げても、つけ込まれるだけだから」



 茶会の場は、宮廷の東翼にある“金の間”だった。
 高い天井、黄金の装飾を施した壁、磨かれた床に映る光。
 その中心でエルミナは白銀のドレスをまとい、まるで主役のように微笑んでいた。

 「まあ、皇后陛下。お忙しい中ようこそおいでくださいました」
 「お招き、感謝いたします」
 形式通りの挨拶を交わすと、彼女はすぐに鋭い一手を繰り出した。

 「ところで……最近、皇后陛下はとても親しくしている方がいらっしゃるとか」
 場にいた貴婦人たちの視線が、一斉に私に注がれる。
 「……親しく、ですか?」
 「ええ。辺境伯の嫡男――名を、レオンと言いましたかしら?」
 わざとらしい無邪気な笑み。
 「夜の回廊で二人きりで会っているのを、見かけた者がいるそうですの」

 ティナが息を呑む音が背後から聞こえた。
 レオンは確かに私に忠告をくれたが、それは公務の一環だ。
 「確かにお会いしましたが、それは陛下からの文を届けるためでした」
 「まあ……そうでございますの? けれど、人目の少ない場所で、しかも夜に?」
 周囲がざわめく。思惑通りの反応だ。



 その時、背後の扉が音を立てて開いた。
 「……何の話だ」
 低い声。振り向けば、漆黒の髪と金の瞳が光の中に現れる。
 「陛下……!」
 場の空気が一瞬で張り詰めた。

 カリスはゆっくりと歩み寄り、私の隣に立つ。
 「皇后が誰と会おうと、それは余の許可を得ている」
 「ですが……」
 「エルミナ、余の名を騙るような噂を流す者は、誰であれ許さぬ」
 彼の声は冷たく、刃のようだった。
 エルミナの笑顔が僅かに歪む。

 「私は……ただ、心配して――」
 「心配は不要だ。皇后は、この宮廷で最も信頼する者だ」
 その一言が、場の空気を根底から変えた。
 ざわめきはすぐに消え、誰もが口を閉ざす。



 茶会が解散となり、廊下を並んで歩く。
 「……助けてくださって、ありがとうございます」
 「助ける必要などない。そなたは最初から無実だ」
 「でも……」
 「そなたを傷つける言葉は、余がすべて断つ」
 その声音には、初めて明確な“感情”があった。

 胸の奥が熱くなる。
 籠姫は必ずまた仕掛けてくるだろう。
 けれど、今は――背中を預けられる人がいる。
 その事実が、何よりも心強かった。



 夜、部屋の窓を開けると、月明かりがすみれの花を照らしていた。
 私はそっと花に触れ、呟く。
 「負けないわ……」
 その言葉は、確かな誓いになっていた。
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