籠姫と寡黙な皇帝と、転生皇后

第六章 籠姫の最後の罠

 茶会での一件から、宮廷の噂は一時的に収まった。
 だが、それは嵐の前の静けさに過ぎなかった。

 ある日の午後、侍女ティナが蒼白な顔で駆け込んでくる。
 「皇后陛下……! 籠姫様が、今夜“祝宴”を開くと……陛下にも正式な招待が」
 「祝宴?」
 「はい……“豊穣の儀”と称して……でも、噂では……」
 ティナは言葉を濁したが、その表情がすべてを物語っていた。
 籠姫は、また何かを仕掛けるつもりだ。

 私は深く息を吸い、静かに告げる。
 「行くわ。……陛下と共に」



 祝宴の会場は、宮廷北翼の大広間だった。
 金糸を編み込んだ赤い絨毯、燭台の灯が天井に反射し、無数の影を落とす。
 中央の高座には、白銀のドレスをまとった籠姫エルミナが座していた。
 その微笑みは、氷のように冷たく、艶やかだった。

 「まあ、皇后陛下。陛下とご一緒にいらしてくださったのですね」
 「お招き、感謝します」
 私が礼を取ると、エルミナはわざとらしく手を叩いた。
 「皆さま、せっかくですから――皇后陛下に、この豊穣の舞をご披露いただきましょう」

 ざわめきが広がる。
 豊穣の舞は、婚姻を祝う舞でもあるが、同時に“子を授かるための祈り”としても知られていた。
 ――つまり、これを踊らされれば「未だ皇帝の寵を得ていない」という意味を、宮廷全体に晒すことになる。

 ティナが背後で息を詰める。
 「皇后陛下、お断りを――」
 「いいえ」私は静かに首を振った。
 逃げることは、彼女の思うつぼだ。



 舞台に立つと、無数の視線が注がれた。
 楽師が竪琴の弦をはじき、笛が低く響く。
 私は前世で覚えた舞のリズムと、この世界で学んだ所作を合わせ、ゆっくりと踊り始めた。

 途中、背後から低く響く声。
 「……止めよ」
 振り返ると、カリス陛下が舞台へ上がってきていた。
 「この舞は、皇后一人で踊るものではない」
 そう言うと、私の手を取る。

 会場がどよめいた。
 皇帝が誰かと舞うなど、滅多にない。
 彼の大きな手に導かれ、私の動きは自然と変わる。
 彼の瞳はまっすぐ私を捉え、微かに口元が緩んでいた。

 舞が終わると、広間に一瞬の静寂が訪れ、その後、拍手が爆発する。
 エルミナの顔には、笑顔の仮面が貼り付いたままだったが、その目だけは怒りで揺れていた。



 祝宴が終わり、回廊を歩く二人きりの時間。
 「……助けてくださって、ありがとうございます」
 「助けたわけではない。あれは、余の望みだ」
 「望み……?」
 「そなたと共に舞うこと。それだけだ」

 胸の奥が熱くなる。
 籠姫の罠は完全には終わらないだろう。
 それでも――今日、彼が示した姿は、宮廷全体に確かな印象を刻んだ。

 「そなたは、余の皇后だ。誰が何を言おうと、それは変わらぬ」
 その言葉は、夜の静けさよりも深く、私の心に沁みていった。



 部屋に戻った私は、窓辺のすみれにそっと触れる。
 強い風に揺れながらも、花は真っすぐに咲いていた。
 ――私も、そうありたい。
 次の嵐が来るまでに、もっと強く。
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