籠姫と寡黙な皇帝と、転生皇后

第八章 静かな告白

 籠姫エルミナが宮廷を去ってから、数日が経った。
 彼女がいなくなったことで、宮中の空気は驚くほど穏やかになった。
 廊下に満ちていた刺すような視線や、背後からの囁きも薄れ、私はやっと深く息が吸えるようになった。

 それでも――胸の奥には、まだ小さな不安が残っていた。
 陛下は、なぜあそこまで私を庇ってくれたのか。
 籠姫との長い年月を断ち切ってまで、守ろうとしてくれた理由は……。



 その夜、部屋で読書をしていると、扉が静かに叩かれた。
 「入れ」ではなく、「入ってもよいか」と低い声が聞こえる。
 「……陛下?」
 私は慌てて立ち上がった。

 扉を開けると、漆黒の外套を羽織ったカリス陛下が立っていた。
 「夜分に失礼する。……散歩に付き合ってくれるか」
 「はい」

 外は冷たい夜風が吹き、庭の噴水が月明かりを反射して揺れていた。
 私たちは並んで歩き、しばらく言葉もなく、足音だけが石畳に響く。



 やがて、陛下が足を止めた。
 「……エルミナのことを、そなたに謝らねばならぬ」
 「謝る……?」
 「長く宮廷に置いたのは、余の情だ。彼女が何をしようと、見て見ぬふりをしていた」
 その声音は、どこか悔いる色を含んでいた。
 「そなたを守ると言いながら、余は最初から、守りきれていなかった」

 胸が締め付けられる。
 「いいえ……私は、こうして今、生きてここにいます」
 「それでも」
 金の瞳が真っ直ぐに私を見た。
 「そなたが傷つくのは、もう見たくない」



 沈黙の中、彼は外套の内から小さな包みを取り出した。
 「これは?」
 「祖母が皇后だった頃、身につけていた指輪だ。……渡すべき相手を、ようやく見つけた」

 月明かりに照らされた指輪は、細い銀の輪に、小さな紫の宝石が嵌められている。
 それはまるで、庭に咲く野すみれの色。

 「……陛下」
 「これは贈り物ではない。誓いだ」
 低く、確かな声。
 「そなたは余の伴侶だ。形式ではなく、心から」

 その言葉は、夜の静けさを破って私の胸に深く落ちた。
 温かい指が、私の左手に触れ、指輪がはめられる。
 「……似合う」
 ほんの僅か、陛下が微笑む。



 気づけば、私は涙をこぼしていた。
 「……嬉しいです。私……」
 言葉が続かない私を、彼はそっと抱き寄せた。
 寡黙なはずの人の腕が、こんなにも温かいなんて――。

 「そなたが笑うなら、それでいい」
 耳元に落ちる声は、低く、柔らかかった。

 その夜、月は庭を静かに照らし、すみれの花々が夜風に揺れていた。
 私はもう、疑わなかった。
 この人と共に歩む未来を。
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