帰り道だけ彼氏
第6話 小雨の帰り道、黒い影の正体

 校門を出ると、雨粒が空から静かに増えていく。
 彼は折りたたみ傘を開いて、いつもの調子で小さく言った。

「本日のクエスト:雨の通学路」

「はいはい、勇者くん。相棒はマント装備ね」
 私は弟のパーカーとキャップ。つばを少し下げると、顔に落ちる雨が減った。

「車道側=俺。——行くよ」

 相合い“しない”傘。身長差のせいで、斜めにすると私の肩が濡れ、水平にすると彼の肘が濡れる。
「ここに透明バリアの線があるとして」
「越えたら『ピー』って鳴らすやつ?」
「うん」
 半歩近づくたびに、小声の「ピー」が交互に飛ぶ。ばかみたいで、笑ってしまう。
 袖を引き上げると、長すぎるパーカーの裾で袖メーターは0.5/5。指先がちょっとしか出ない。

 角で一時停止。息を合わせる一拍。
 風に乗って、黒い毛がふわ、と私の袖に貼りついた。
「毛?」
 彼が覗きこむ。次の瞬間、くしゃみ×2。
「風邪?」
「ちが……ムズムズ」
 のど飴を出そうとして、私と彼の手が同時に伸びて、袋の上でコツン。
「どうぞ」
「どうも」

 商店街の端。看板の上で、黒い影の尾がひと振りした——気がして、思わず立ち止まる。
 アーケードの天井をたたく雨音。すれ違う人の足音。
 植え込みの奥から、低く喉が鳴るような音が、ひとつ。

「……今の、聞こえた?」
「うん」

 路地の角。電柱の陰で、黒い塊が動いた。
 次の瞬間、暗闇から大きなが影だけが見える——

「殺し屋!」
 口が勝手に叫んで、通行人がびくっとこっちを見る。

 びっくりするほど、『大きな黒ねこ』だった。

 黒ねこは気にせず、私の足首にすりと身体をこすりつけて、喉をゴロゴロ鳴らす。

「うわ、ちょ、ちょっと……」
 彼は後ずさって、くしゃみ連発。目の縁が少し赤い。
「アレルギー、出た?」
「……出た(涙目)」

 黒ねこは堂々と私たちの前に座り、雨粒を振り払ってから、じっとこちらを見る。
 背なかの線がきれいで、なんだかボスの風格がある。

「名前、つけていい?」
「(くしゃみの合間に)任せる」
「——キラー」
 私が言うと、黒ねこは一度だけ尾をぴんと立てた。了承、みたいに。

 そこへ、塀の上や生け垣の向こうから、黒い影が数匹あらわれて並ぶ。
 電柱の上、フェンスの上、庭の塀。みんな静かで、目だけが光る。
「……見張り隊だ」
 私が言うと、彼は鼻をおさえたまま笑った。
「味方っぽいのが救い」

「じゃ、家まで行こう。——隊長、先導お願いします」
 キラーはゆっくり立ち上がり、雨の路地を二歩先で歩き出す。私たちはその後ろを、小さな傘の下で追った。

 住宅街。ブロック塀の影が濃い。
 彼は歩きながら、私の肩口を指さす。
「タグ出てる係、発動」
 そっとパーカーのタグを中へ押し込む。その一秒だけ、距離が近い。
「ありがとう」
「(うなずく)」

 家の門前。表札が雨に濡れて白く光る。
 キラーは門柱にひょいと飛び乗り、前足をそろえて座った。背後の黒い列も、それぞれの持ち場で待機。

「ここまで」
 彼は玄関から二歩下がって立ち、傘をほんの少し傾ける。
 私は鍵を回し、靴を脱いで上がる。内鍵ガチャ/チェーンカチャ。
 スマホを出して、短く打つ。

〔入った〕

 ガラス越しに、彼が親指を立てる。それだけで、いい。
 扉を閉める直前、外で**「タタッ」**と軽い足音。
 怖くない。——見守られてる音だと、もう分かる。



 夜。机の灯りの下、ノートを開いたところで、スマホが震えた。

〔今日はありがと。喉が少し痛い〕

 少し間をおいて、もう一つ。

〔たぶん明日、声が出にくいかも〕

 私はすぐ返す。

〔大丈夫。文字でも話せるから〕

 既読の丸がついて、静かになる。
 カーテンを少しだけ開けると、雨上がりの路地。フェンスの上で、キラーが尾を一度だけ立てるのが見えた。
 私はキャップを机に置いて、パーカーの袖口をつまむ。
 胸の鼓動が、さっきより少しだけ速い。でも、怖くない。

 ——守られる理由は、もうない。終わりだと思うと、勝手に涙がこぼれた。どうして。
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