下町育ちのお針子は竜の王に愛される〜戴冠式と光の刺繍〜
「ユリシーズ、殿下……?」
思わず名前を呼ぶと、頭の中に再び返事が届いた。
『そうだ』
神話の中にしか存在しないはずの竜人族。絵本やおとぎ話でしか語られないはずの存在が、今、目の前にいる。
『この姿は……恐ろしいだろう。だが、私は君に危害を加えたりはしない。どうか安心してほしい』
薔薇の棘のような睫毛に縁取られた金色の瞳が、静かにニコラを見つめている。
瞼が下から上に向かって、ゆっくりと瞬きをした。
(怖い……?私は今、怖いのかな……?)
何か言わなくては、と思うが上手く言葉が出て来ない。
『ニコラ、火が近づいてきている。早く私に乗るんだ』
ニコラの言葉を待たずユリシーズの声が頭に響いた。
「乗るって……」
『私の背中に。角をしっかり握っていて』
戸惑いながらも、ニコラは言われるままに竜の背中へとよじ登る。見た目には硬そうな黒曜石の鱗。それは触れると意外にも滑らかで、わずかな温もりも感じる。漆黒だと思っていた鱗は近くで見ると、一枚一枚、雄孔雀の羽根の模様のように円を描いて輝き、深い青、濃い緑、翡翠と光を反射していた。まるで宝石でできた鎧のようだ。
『振り落とされないよう、しっかり掴まっていろ』
竜の四肢が地を蹴るようにうねった。その振動が伝わり、ニコラに緊張が走る。
角を抱きしめるように、強く両手で掴んだ。
ぐっと重力がのしかかってきて、思わず目をきつく閉じる。
激しい衝撃。
崩れ落ちる岩の音が背後で響いた。
竜は風を切り、空へと一直線に飛翔した。
呼吸もできないほどの重力に意識が遠のきそうになる。
風が鋭く頬を打った。
突然、ふっと体が軽くなる。
恐る恐る目を開くと、別世界が広がっていた。
目の前に広がっていたのは月の光に照らされた銀の雲海。
濃紺の空にスパンコールを鏤めたような星々。
月と、星と、雲しかない世界に迷い込んだみたいだ。
ユリシーズが言っていた通り、空気は凍えるように冷たい。
けれど、その冷たさすら忘れるほど、美しい景色だった。
『ニコラ、寒くはないか?』
「いえ、全然……」
『まだしばらく飛ぶ。しっかり掴まっててくれ』
「はい」
ユリシーズの声は脳に直接響き、不思議とニコラの声は彼に届いているようだった。
「……こんなに綺麗な空、初めて見ました」
『気に入ってもらえたならよかった』
「まるで、御伽話の中に迷い込んだみたい」
『それなら、君は物語の姫君だな』
「えっ?私がお姫様ですか?……じゃあ、殿下は?」
『ふふっ、姫を攫って、勇者に討伐される悪い竜だろう』
「ええ?悪い竜だなんて!」
『このような大きな姿のハルヴァは、他の者にとって脅威だろう』
その言葉を聞いて、ニコラは悲しくなった。だって
「こんなに綺麗なのに……?」
少し間があって、ユリシーズは返事をした。
『ニコラがそう思うなら……怖くないのなら、それで良い』
少し考えてニコラは言った。
「じゃあ、私が守りますね。勇者から、私が殿下を守ります」
『……姫に守られる竜か』
「そんな御伽話、どうですか?」
『悪くない。しかし、姫に守られるだけなのも癪だな。一緒に戦おう』
「あはは、そうですね。一緒に戦いましょう!いえ、平和的に話し合いで解決しましょう!」
『それも悪くない』
そんな他愛もない会話を交わしながら、ニコラを乗せた竜は夜空を駆け抜けていった。