下町育ちのお針子は竜の王に愛される〜戴冠式と光の刺繍〜
第五章
【戴冠式まで、あと25日】
「体は本当に大丈夫なんですね?」
夜、執務を終えたアベルがユリシーズの私室を訪れ、そう問いかけた。彼は今でも五日前の夜の出来事が信じられないようだった。あの晩からユリシーズはアベルの指示のもと、誰かとの面会も許されず、部屋に籠りきりだった。
「五日も寝て過ごして問題なかったのだ。もういいだろう?」
ベッドから体を半分起こした状態でユリシーズ言った。気怠げなのは人間の姿に戻った反動ではなく、寝疲れが原因のようだ。長い漆黒の髪が、肩からさらりと滑り落ちる。
「……ニコラはどうしてる?」
「ずっと作業してもらっています」
「……鬼だな」
「戴冠式まで時間がありませんから」
「無理はさせてないだろうな?」
「日に何度か、ライアンに様子を見に行かせています。何かあればすぐに知らせるよう言ってあります」
「そうか。それならいい」
失敗が多いライアンだが、彼は誰よりも人の感情に敏感だった。アベルやオリビアは非常に優秀だ。彼らは王宮の中でも一、二を争う才人だろう。その反面、彼らは配慮に欠けるところがあるように思える。性格に問題があるわけではない。ただ、一人であらゆることをこなせてしまう彼らは、出来ない者の気持ちが分かりづらいのではないかと思う。同僚や部下に対して歯に衣着せぬ物言いが、意図せず冷たい印象を与えてしまうことだろう。その点、ライアンは仕事の出来は悪いものの、コミュニケーション能力に長けていた。彼を嫌う人物は、まず王宮内にいないだろう。アベルとオリビア、そしてライアンがいて、王宮はまわるのだ。
「ユリシーズ殿下に、悪い知らせがあります」
アベルはほんのわずかに目線を落とし、静かに告げた。
「何だ?」
「戴冠式のマントが何者かによって盗まれたことが街で噂になっています」
アベルはため息をついた。
「王宮の誰かかが漏らしたのでしょう。人の口に戸は立てられませんね。ここまで広まっては噂を流した者を探す気も起きません」
「探さなくていい。本当のことだ」
「そう。本当のことです。しかし……」
ユリシーズは、言葉を途中で止めたアベルを訝しがって見つめた。
「犯人は、下町に住むティムという少年だと噂になっています」
「何……?」
ユリシーズは眉を顰めた。
『何者かによる盗難』と『その少年が盗んだ』という噂では、周囲に与える印象がまるで違う。何より、あの少年が、盗みに近い行為をしてしまったのは紛れもない事実なのだ。
「ティムという少年のことはライアンから聞きました」
「彼はどうしてる?母君が病気なんだ」
「殿下が気にすると思って、ライアンに様子を見に行かせました」
「それで?」
「近隣住民が少しずつお金を出しあって薬を買い、母親の看病も、交代で手伝っているそうです。噂の件も、恐らく耳にしてはいると思いますが……今のところ、大事にはなっていません」
「そうか……」
噂を気にしてないはずはない。気にしていないように見えるのは、彼らなりの優しさだ。
アベルは、それを知らない。そして自分も、この王宮にいたままでは、きっと一生知ることはなかった。
下町で出会った人々と、その生活。
王宮に戻っただけで、またすべてが遠ざかっていく。
「でも、それも時間の問題でしょう」
「体は本当に大丈夫なんですね?」
夜、執務を終えたアベルがユリシーズの私室を訪れ、そう問いかけた。彼は今でも五日前の夜の出来事が信じられないようだった。あの晩からユリシーズはアベルの指示のもと、誰かとの面会も許されず、部屋に籠りきりだった。
「五日も寝て過ごして問題なかったのだ。もういいだろう?」
ベッドから体を半分起こした状態でユリシーズ言った。気怠げなのは人間の姿に戻った反動ではなく、寝疲れが原因のようだ。長い漆黒の髪が、肩からさらりと滑り落ちる。
「……ニコラはどうしてる?」
「ずっと作業してもらっています」
「……鬼だな」
「戴冠式まで時間がありませんから」
「無理はさせてないだろうな?」
「日に何度か、ライアンに様子を見に行かせています。何かあればすぐに知らせるよう言ってあります」
「そうか。それならいい」
失敗が多いライアンだが、彼は誰よりも人の感情に敏感だった。アベルやオリビアは非常に優秀だ。彼らは王宮の中でも一、二を争う才人だろう。その反面、彼らは配慮に欠けるところがあるように思える。性格に問題があるわけではない。ただ、一人であらゆることをこなせてしまう彼らは、出来ない者の気持ちが分かりづらいのではないかと思う。同僚や部下に対して歯に衣着せぬ物言いが、意図せず冷たい印象を与えてしまうことだろう。その点、ライアンは仕事の出来は悪いものの、コミュニケーション能力に長けていた。彼を嫌う人物は、まず王宮内にいないだろう。アベルとオリビア、そしてライアンがいて、王宮はまわるのだ。
「ユリシーズ殿下に、悪い知らせがあります」
アベルはほんのわずかに目線を落とし、静かに告げた。
「何だ?」
「戴冠式のマントが何者かによって盗まれたことが街で噂になっています」
アベルはため息をついた。
「王宮の誰かかが漏らしたのでしょう。人の口に戸は立てられませんね。ここまで広まっては噂を流した者を探す気も起きません」
「探さなくていい。本当のことだ」
「そう。本当のことです。しかし……」
ユリシーズは、言葉を途中で止めたアベルを訝しがって見つめた。
「犯人は、下町に住むティムという少年だと噂になっています」
「何……?」
ユリシーズは眉を顰めた。
『何者かによる盗難』と『その少年が盗んだ』という噂では、周囲に与える印象がまるで違う。何より、あの少年が、盗みに近い行為をしてしまったのは紛れもない事実なのだ。
「ティムという少年のことはライアンから聞きました」
「彼はどうしてる?母君が病気なんだ」
「殿下が気にすると思って、ライアンに様子を見に行かせました」
「それで?」
「近隣住民が少しずつお金を出しあって薬を買い、母親の看病も、交代で手伝っているそうです。噂の件も、恐らく耳にしてはいると思いますが……今のところ、大事にはなっていません」
「そうか……」
噂を気にしてないはずはない。気にしていないように見えるのは、彼らなりの優しさだ。
アベルは、それを知らない。そして自分も、この王宮にいたままでは、きっと一生知ることはなかった。
下町で出会った人々と、その生活。
王宮に戻っただけで、またすべてが遠ざかっていく。
「でも、それも時間の問題でしょう」