下町育ちのお針子は竜の王に愛される〜戴冠式と光の刺繍〜
 ふと視線を横にやると、部屋の隅に立てかけられた生地のロールが目に入る。祝賀会用に用意された、あの特別な生地の余りだった。

「ユリシーズ殿下の衣装だけだと、生地がたくさん余っちゃいましたね」
「そうなのか?」
「はい。この生地、本当にすごく素敵なんですけど、ユリシーズ殿下が祝賀会で着た衣装と同じ生地なんて売りに出せないし……。きっとこのままお蔵入りですね」
「そういうものなのか」
「そういうものだと思いますよ。今後、日の目を見ないと思うともったいないですね」

 しばらく沈黙があって、ユリシーズが口を開いた。

「それなら、この生地で別の衣装を考えてみてはどうだろう」
「え?」
「いや、実際に作る必要はない。ただ、その、服のデザインというのは、どのように考えていくものなのか、知りたくて……」

 子供のような言いようにニコラは小さく吹き出した。
 ユリシーズ殿下は、時々こうして不思議なことを言うのだ。

「この生地に似合う服かぁ」

 ニコラは近くに置いてあった紙とペンを手に取り、そのまま床に座り込むと、さらさらと迷いなく描き始めた。

「ユリシーズ殿下がいつも着ている前合わせの服にも合いそうな生地ですね……でも、いつもと同じじゃつまらないから、帯ははっきりした色の………そう、黒!ユリシーズ殿下が竜のときの姿みたいな色合いの……あ、そしたら青もどこかに入れたいなぁ………ちょっと待って、ここのラインをもうちょっと………………」

 想像が膨らみ始めると、次から次へとアイデアが湧いてきて、ニコラの手は止まらなかった。気づけば、紙にはたくさんのスケッチが描かれ、床いっぱいに広がっている。夢中になって描いているうちに、姿勢も崩れて、いつの間にか寝転がるような体勢になっていた。

「女性物はどうだ?」

 ユリシーズもいつの間にか寝そべって、隣でニコラのデザイン画を覗いている。

「ドレスとかですか?」
「ああ」
「そうですね~…」

 この布で作るなら、どんなドレスがいいだろう。
 ニコラの脳裏に浮かんだのは、叔父ルカの屋敷で見た、祖母ジーナの若かりし日の肖像画だった。
 ニコラは静かにペンを走らせた。

「二人とも何遊んでるんですか!時間がないんですよ!ユリシーズ殿下はくれぐれもニコラの邪魔をしないでください!!」

 しばらくして現れたアベルに、二人で床に寝転んでいる姿を見られ、容赦ない叱責の声が飛んだ。
 しかも、ユリシーズは試着したまま寝そべっていたので衣装に皺がつくと更に怒られたが、当の本人は悪びれる様子もなく、平然としたままだ。
 最近では、こうしたやりとりもすっかり日常の光景となりつつあり、ニコラは苦笑を浮かべるしかなかった。

 ユリシーズとアベルが部屋から出て行ったあと、一人、戴冠式のマントを向き合う。

「さて、と……」

 ユリシーズの突発的な希望でデザインを考えたことで、不思議と心が軽くなっていた。


『想いを込めることが大切なの』

『想いを込めた分だけ、その刺繍には命が宿るのよ……』


 初めて刺繍を教えてくれた日から、繰り返し言われてきた祖母の言葉。
 今なら、その意味がはっきりとわかる。

 その言葉が、全てだった。

 ニコラは針を手に取った。
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