下町育ちのお針子は竜の王に愛される〜戴冠式と光の刺繍〜
アベルとライアン、そしてオリビアが作業部屋へ行くと、ニコラを囲んでメイドたちが歓声を上げていた。ニコラの周りの生地は、半分以上が仕上げられていた。
ライアンが声を掛ける。
「ニコラちゃん!」
「あ、ライアンさん」
「もう、一体どこに行っちゃったのかと思った」
「ごめんなさい。これが私の仕事なのかと思って……」
「これ、あなたが一人で?」
オリビアがニコラが縫い上げたクロスを一枚手に取り、縫製を確認する。
糸のほつれはなく、縫い目も曲がってない。糸の始末も完璧だ。
「貴方、なかなかやるみたいね」
そう言ってオリビアは滅多に見せない笑顔をニコラに向けた。元が美人なので、同性でありながらニコラは一瞬ドキッとした。
「お、お役に立てて良かったです」
「貴方、先ほど聞いたけど募集で来たメイドじゃなかったのね。ちゃんと確認せずにごめんなさい。でも、貴方さえ良かったらここで働く気はないかしら?」
オリビアの急な申し出にニコラは驚いた。オリビアは真剣な表情で、冗談で言っているわけでなさそうだ。王宮で働くことを想像したが、真っ先に頭に浮かんだのは『Charlotte―シャルロット―』にいつも来てくれるお客さんの顔だった。
新しい服を買う余裕はないけれど、初めてのデートでいつもより可愛いと思ってもらいたくてワンピースのリメイクをお願いしてきた若い女性。
結婚する孫娘のプレゼントに、ハンカチに刺繍を依頼してきた目の悪いおばあさん。
衣装で困ったことがあったらいつも相談しにやって来る市民劇団員たち。
外で遊んでいるうちに大事にしていた人形の服が破けてしまい、泣いて持ってきた小さな女の子。
共働きで忙しい奥さんの代わりに、旦那さんのシャツや子供の穴の空いた服に当て布をしたり……
ケイトのお母さんの形見のブラウスの痛んだ所を刺繍した時、ケイトは泣いて喜んだ。
みんなの喜ぶ顔が大好きだった。
だからニコラの返事は決まっていた。
「誘っていただいて、すごく嬉しいです。でも、待っているお客さんがいるので、その……ごめんなさい」
嬉しいと言ったの本心だった。王宮で働かないかと声を掛けてもらえるなんて夢にも思っていなかったから。だから精一杯の感謝の気持ちを込めて断った。
「そう……残念だわ。でも仕方ないわね。気が変わったらいつでも声を掛けて」
ニコラの気持ちがオリビアに通じたのか、オリビアはまた少しだけ微笑んだ。ニコラが新人メイドではないことを知った作業部屋のメイド達からは落胆の表情が窺える。
そんな彼女たちを置いて退出するのは気が引けたが、ニコラはそんなメイド達に挨拶をしてライアンと共に退室した。オリビアはメイド達に作業に戻るよう指示する。
「貴方にそこまで言わせるなんて、すごい子のようですね」
アベルは純粋に感心して言った。
「役に立たない人を何人も雇うより、あの子一人いる方が効率が良いと思っただけです。次回、募集をかける際は人件費も考慮して能力で判断しては?」
「なるほど。検討しましょう」
オリビアの刺のある物言いにアベルは貼り付けたような笑顔で答えた。彼女の中で前回の募集の採用で不満に思う所があったようだ。
私も仕事に戻ります、とオリビアは言ってその場を去った。
アベルの決して甘くない評価の中で、彼女は間違いなく有能だった。自分と同じ立場で物事を考えることが出来る唯一の人間。だから彼女をメイド長に任命した。その彼女が認めたお針子にアベルも少なからず興味を持ち始めた。
アベルが耳を澄ますとライアンとニコラは長い廊下の向こう、分厚い扉を隔てた先で他愛もない会話をしているのが聞こえた。暢気なものだ。
ライアンがまたミスをしないうちに、とアベルは足早に二人の元に向かった。