前世の趣味のままにBL小説を書いたら、サイン会に来た護衛騎士様の婚約者になりました

デートは異なもの味なもの

 イライラなのかモヤモヤなのかわからないものをすべて原稿にぶつけているうちに、私の気持ちもすっかり晴れてきた。やはり執筆は私の心の安定剤、ささくれだった身のオアシスだ。

 新聞連載は好調だった。悪役令嬢キャサリンの地味な嫌がらせが功を奏して、ダダン殿下とヒロインちゃんの仲は確実に深まっている。

 そしてこちらの思惑通りにじわじわと、ダダンがダミアン殿下であり、キャサリンがカトリーナ様のことではないかという噂も出回りだした。小説はすでに庶民の間だけでなく、貴族たちにも愛読されるようになっている。思わぬ副作用もあって、新聞の発行部数もずいぶん伸びているらしい。紹介した私も鼻が高いとオードリー社長からお褒めの言葉までいただいた。

 そんなオードリー社長から「ぜひダダン殿下とヒロインちゃんの甘々デートを書いてほしい」と依頼があった。確かに王宮しか知らない王太子サマが、庶民派ヒロインちゃんの庭とも言える王都を2人で散策するシーンは、身分違いの恋では王道中の王道だ。

「というわけで、王都を散策してきますので!」
「待て、何がどうあって“というわけ”なんだ」

 執筆補佐という名目で派遣されているジェスト様だが、私の護衛も兼ねている。もちろんエイムズ公爵家にいる限り安全は約束されているのだけど、この場合の護衛はナツ・ヨシカワである私の正体がバレないように守る、という意味合いが強い。

「おまえを野放しにしたらどこでトラブルに顔を突っ込むかわからん。俺も行く」

 事情を聞いた彼が同行を申し出てくれた。

「別にかまいませんが、今回は庶民デートの取材ですから、ジェスト様には刺激が強すぎるかもしれませんよ」
「……いったい何をする気なんだ。いや、やはり絶対についていくぞ」
「そう大したことは。間違ってもカトリーナ様のご迷惑になるようなことはしませんってば」
「カトリーナは関係ないだろう。とにかく、俺はおまえの執筆の補佐をするよう、アレン殿下から命令されているからな。さすがにハーパー侯爵令嬢と鉢合わせるようなことはないと思うが、おまえに何かあれば困るのは事実だ」
「そうでした。私が小説を完成させられなければ、計画が水の泡になってしまいますものね」
「は?」
「わかってます。では当日はよろしくお願いします」
「いや、ちょっと待て。確かに計画もそうなんだが……」

 やりとりを終えたちょうどのタイミングでマナー講師の先生の来訪が告げられた。何やら言い縋ろおうとするジェスト様を残して、私は先に部屋を出た。

 そして庶民デート取材当日。

「思っていた以上に様になってますねぇ」

 迎えに来てくれたジェスト様は、色味だけはいつもの黒多め基調だが、格好は見事なまでに庶民の青年に擬態していた。何度か洗い晒したようなシャツに薄い皮のベスト。麻製と思われる粗い生地のパンツ。水も滴るご面相だけは隠しようがないものの、ぎりぎり庶民と言えなくもない。

「普段からアレン殿下のお忍び歩きに付き合ってるからな」
「え、アレン殿下ってそんな趣味がおありだったんですか?」
「趣味というより仕事だな。庶民の生活を知らなければ為政者など務まらんと、そう考えていらっしゃるお方だ」
「へぇぇ、とても先進的な考えをお持ちだったんですねぇ」

 アレン殿下は王位継承権2位だが、ダミアン殿下という絶対的な存在がいる以上、王位に就く可能性は低かったはず。そんな身の上でそこまで考えて行動されていたというのは驚きだった。

「そういうおまえもなんというか……新鮮だな」

 ばっちり軽装で決めた私の格好を上から下まで眺めたジェスト様が、口元に手を当てていた。えぇえぇ違和感なさすぎで驚きでしょうとも。こちとら馬の特産で名を馳せるハミルトン家の令嬢だ。父や兄の手伝いで馬の世話をするときもこんなものだから、わざわざ擬態を目指すまでもない。

 それでも、初デートにどきわくのヒロインちゃんをイメージして、庶民派ワンピースから少しだけ背伸びしたという印象を心がけた。襟ぐりに蔓草の刺繍が入っているのが精一杯のおしゃれという出で立ちだ。何事も形から入るの大事だと思う。 

 形からということで、わざわざエイムズ家の裏口から徒歩で出かけた私たちは、まず王都の中心へと向かった。幸いお天気にも恵まれ、初夏の日差しが燦々と降り注ぐいい一日だ。

 活気のある商店街を抜けて向かったのは公園だった。

「うわぁ、さすがは王都。ただの公園でも広くて綺麗ですね」

 ハミルトン領は王都から近いとはいえ、お馬さんがパッカパッカ駆け回る見渡す限りの田舎景色だ。わざわざ公園のような憩いの場を作る必要がない。対して王都の公園は人工的な手が入った整備された自然造形だった。中心部には池も備わっていて、貸しボートまである。

 物珍しく眺めていたら、ジェスト様が咳払いした。

「せっかくだし乗ってみるか?」
「え、ボートにですか?」

 まさか彼からそんな提案が出るとは思わず一瞬押し黙ってしまった。

「いや、無理にとは言わないが」
「いえ、乗ります乗ります! ぜひ乗らせてください!」

 前世今世通じてボートに乗るのは初体験だ。ジェスト様がお金を払ってくれて、私たちはボートに乗り込んだ。

「すごい! ちゃんと進んでる!」
「そりゃ、漕げば進む造りになってるんだから当たり前だろう」

 すいすいとなんなくオールを漕ぐジェスト様。あっという間に岸が遠くなり、池の真ん中辺りまでやってきた。

「へぇ、ボートって意外と早く進むものなんですね。あ、ちょっと私もやってみたいのでオールを貸してくれませんか」
「かまわないが、おまえにできるのか?」
「私、馬の手綱だって握れるんですよ。大丈夫ですってば。それに小説ではダダン殿下に漕いでもらうことになりますからね。私もちゃんと確認しておきたいんです」
「まったく、本当にブレないな」

 その言葉は私を馬鹿にするものではないと、もう知っている。苦笑しながらジェスト様はオールを渡してくれた。

「えいっ!っと。あれ……? なんか違う?」

 私の扱うオールはただ水面の水を跳ね上げるだけで、ちっとも進まなかった。

「もっと深くオールを入れないと無理だぞ」
「わかってます、けど! なんで? 全然っ、進まっ、ないぃ!」

 結局バタバタとオールを上下させるだけで、ボートはというとその場でくるくる角度を変えるのみ。まったくもって前に進む気配がない。

「だから言ったんだ。ほら、貸してみろ」

 私からオールを取り上げてジェスト様は悠々と漕ぎ始めた。

「ぬぬぬっ。見てるだけなら簡単そうなのに」
「おまえの細腕では無理だろうと思っていた。馬の手綱が握れるのは立派なことだが、これは要領が違うからな」
「ダミアン殿下にはできそうでしょうか」
「無理だろう。あの人は剣術の稽古もサボっている」

 やはり最低限の筋力は必要なようだ。でも新聞小説のダダン殿下はスーパーヒーロー扱いだからボートは乗りこなしてもらうことにする。きっとヒロインちゃんもうっとりだ。

 それにしても。

「ジェスト様は慣れてらっしゃいますね」

 淀みなく、疲れをみせることもなくすいすいとボートを進める彼にそう問いかければ。

「慣れてはないな。ボートを漕いだのはこれが初めてだ」
「えぇ!? だって……」

 カトリーナ様とは乗ったことがないのかと続けようとして、咄嗟に言葉を飲み込んだ。婚約者のいる女性と2人でボートに乗るなんて、こんな人目がある場所でできるはずもない。人目がなくったって難しい。

 そうしたくてもできないもどかしさ———。わかりきったことを口にして彼を怒らせるところだったと、焦りながらもセーフだセーフと胸を撫で下ろすと、ジェスト様がおもいきり顔を歪ませた。

「ジェスト様?」

 え、私、もしかして声に出てた?と、はらはらしながら息を呑めば。

「……おまえ今、”アレン殿下とは乗ったことがないのか”と尋ねようとしただろう」
「ええっ!? そんな、めっそうもない!」
「ふんっ! 不本意ながらおまえの考えていることくらい、手に取るようにわかる。まったく、こんな衆目の場で男同士、こんなことするわけがないだろうが」
「いやいやいやちょっと待って! 濡れ衣ですってば!」

 全力で否定したものの、「どうだか」と吐き捨てたジェスト様のツンドラ気候並みの視線が突き刺さった。いやいや、何が”おまえの考えていることくらい手に取るようにわかる!(キリッ×イラッ)”だ。全然手に取ってもわかってもないじゃないか!

 そのまま無言でボートを岸に戻したジェスト様に、なぜかひたすら謝って機嫌を取ることになってしまったのだけど、どう考えても私悪くないよね!?


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