前世の趣味のままにBL小説を書いたら、サイン会に来た護衛騎士様の婚約者になりました

穴があったら掘り…入りたい

 初手からどっぷり疲れてしまい、どきわくデート取材だというのにちょっとだけげんなりしていると、どこからともなくいい匂いが漂ってきた。

「なんだかおいしそうな匂いがしますねぇ」
「うん? あぁ、あれだな」

 私のスライディング土下座なみの謝罪が功を奏したのか、ぱっと見機嫌を直したかのようなジェスト様が顔を上げた先には、移動販売の馬車がいた。色とりどりの果物やソースが店先に並んでいる。

「もしやアレはクレープ屋さん! ちょっと覗いてみましょう」
「おまえ、朝食は食べてなかったのか?」
「エイムズ家の豪華朝ごはんはおかわりつきでしっかりいただきましたよ。でも、甘いものは別腹なんです」

 言いながらジェスト様の服の裾を引っ張って屋台へと向かう。大きい鉄板に生地を流し込めば、あっという間にクレープ生地が焼き上がった。

「いらっしゃい! お嬢ちゃん、彼氏さんもひとつどうだい?」
「かかかか彼氏!? いや、それは……」

 ようやく機嫌が治ったところに新たな火種はご遠慮したいと否定しかけたところ、「2つ貰おう」と低い声が割り込んだ。

「ジェスト様!」
「甘いものは別腹なんだろう? ほら、中身はなんにするんだ?」
「今なら桃やさくらんぼが旬だよ。甘くて格別だ。そっちのお兄さんも、もし甘いのが苦手ならアンズやブルーベリーもお勧めだ」
「だそうだ」

 言いながらこちらを見下ろすジェスト様の眉間に皺はない。ないどころか涼やかな目元が心なし緩んでいるようにも見える。くっ……! デフォルトの皺がないだけでも3割増しなのに、ほんのり笑んでいるだなんてどれだけ大盤振る舞いなんだ。

「え、えっと、じゃあ! さくらんぼでお願いします!」

 頬が熱くなるのをごまかすように注文すれば、ジェスト様はブルーベリーのクレープを頼んだ。2人分の支払いもスマートに終わらせて、店のおじさんからクレープを受け取る。

「この先の花壇のところにベンチがあるよ。行ってみたらどうだい?」

 クレープは歩きながらでも食べられるが、庶民には許されても貴族がそれをすればはしたないとされる。まぁベンチに座ったところではしたなさに変わりないが、ひょっとするとおじさんは私たちが貴族だと見抜いて、少しでも体裁を整えられるよう提案してくれたのかもしれない。私は前世ド庶民の経歴があるから買い食いに抵抗はない。加えて見るからに庶民のこの格好なら、うっかり貴族とすれ違ってもバレない自信がある。

 けれどジェスト様はアレン殿下の護衛として侯爵令息として、令嬢たちに人気のお方だ。品位を疑われるような行動を好んでするとは思えなかった。

 庶民デートの取材とはいえ、彼の負担になることはしたくない。移動しながらジェスト様に謝った。

「あの、ジェスト様、私、責任もってそれも食べますので。ジェスト様は少し離れたところででも時間を潰しててください」

 彼が持つクレープを受け取ろうと手を差し出せば、怪訝な顔をされた。

「ひとつじゃ足りないっていうのか? 朝食をおかわりまでした上で……おまえはどれだけ大食漢なんだ」
「へ? いや、違いますよ! 足りてないわけじゃなくて、そうじゃなくて……っ」
「これは俺のだ。おまえはそっちの分だけで我慢しろ」

 どう考えても最大の勘違い、しかも乙女にとってはかなり不名誉な勘違いをされて、私は全力で否定した。いや、乙女じゃなくて腐女子だけど、腐女子にとっても大食漢って二つ名は不名誉なんです!





 結局移動した先のベンチで、2人してクレープを食べることになった。隣をちらりと見れば、大口を開けたジェスト様がぱくりとクレープに食らいついている。荒々しい行動のはずなのに品よく見えるのはなんなのだ。あ、侯爵令息サマか。それにしても。

「外で食べるなんて常識がなさすぎるって、また怒られるかと思っていました」
「別にこれくらい普通だろう。俺はあまり縁がないが、騎士ともなれば行軍や野営の訓練もある。自力で食糧を採取して食べることに比べたら、こうして出来合いのものを外で食べるくらい、どうってことない」

 それは正論かもしれないが、職務として行うことと、日常的に行うことでは意味が違う。普段は野営に慣れている騎士たちでも、ひとたび貴族の仮面を被ればそれに見合った行動を取りたがるはずだ。

 でもジェスト様は、貴族令嬢としては突飛な私の行動を止めるどころか、付き合ってくれた。その事実にじんわりと胸の奥が温かくなる。

 そのままぼーっと彼を見上げていたら、何やら意味深な溜息が降ってきた。

「……わかった。そんなに見つめるな」
「え? いや、あの、ごめんなさ……っ」

 いつの間にか食べることも忘れて彼を見つめていたことに気づき、慌てて首を振れば、私の前にぬっとクレープが差し出された。

「そんなにこれが食べたかったのか。ほら、分けてやる」
「へ?」

 いや、違うんです、それが食べたくて見ていたわけじゃなくて……と言い訳しようとした矢先。

 天啓のようにその使命が思い出された。

(そうよ、忘れてたけどこれは庶民甘々デートの取材。クレープを食べさせ合いっこするっていうのはデートの定番じゃないの!)

 むくむくと蘇った作家魂に押されて……私はぱくりと彼のクレープに噛みついた。きりりとしたブルーベリーの酸味とクリームのハーモニーが口いっぱいに広がる。さくらんぼも美味しかったけど、これも捨てがたい味だ。

「ふふふっ。おいしいです。あ、そうだ、これもぜひ食べてください」
「な……っ」

 手元のさくらんぼ味を差し出せば、途端に戸惑うジェスト様。

「ほら、取材の協力してくれるんでしょう? ダダン殿下がどういう反応をするのか、とっても気になるんです」

 誰かに物を食べさせてもらうなんて、うんと子どもの頃でしかない経験のはず。すでに成人した男性にどう反応させれば乙女用萌えポイントを稼げるのか、ぜひとも観察しておきたい。

 ジェスト様はわずかに逡巡したものの、瞳を固く伏せてクレープに齧り付いた。近くなった彼の長い睫毛が震える姿に、心臓がどくん、と跳ねる。

 そのまま上体を戻した彼は何回か咀嚼した後、唇の端についたクリームを親指でつい、と拭った。

「……甘いな」

 ちらりと見せた舌で親指をペロリと舐め上げる。柔らかに蠢く舌先の粘度に、私のパンドラの箱の(ふた)がずどんと弾け飛んだ。

(えええええぇぇぇぇっ! 舌ぺろっ何ソレ!! エッッッッッッッロぉぉぉ!!!)

 ヤバいヤバいヤバいヤバいこれ以上見たら私の乙女としての何かがなくなるいや腐女子としてのナニかはとっくにロストしたけど腐っても守り抜いた何かまでは失えないと、慌てて目を逸らせば。

 はたと目に飛び込んできたのは、食べかけのさくらんぼのクレープ。

 大きめについているのはどう見てもジェスト様の麗しい歯形。

(え、ちょっと待って? これ、残りは誰が食べるの!? このはっ、はがっ、歯形……っ)

 絶望なのか羞恥なのかわからぬ感情が胸の中で乱高下する。落ち着けグレース、そうだ、これはジェシーの歯形で、私はアラン殿下。ジェシーが毒味をしてくれて、それをアランが食べるシーンに違いない。私はアラン私はアラン私はアラン……。

 呪詛のように呟きながらえいやっ!と再びクレープに噛みついた私の隣で、同じくジェスト様が食べかけのブルーベリーのクレープを握りしめたまま、しばし固まっていたことには気づけなかった。



(お、恐るべし庶民デート。これはダダン殿下の戦闘能力が相当高くなければ敢行できないわ)

 初手からどっぷり疲労させられ、二矢目で射抜かれ、すでに満身創痍の私は公園を後にすることにした。やはり敵の得意(?)フィールドで勝負しようとしたのが間違いだった。ここは一度、自身の狩場に戻って立て直す必要がある。

「次は本屋か」
「はい!」

 作家の端くれとして本屋は外せない。書くのは好きだが読むのも大好きだ。BL小説はなくとも心躍る本はたくさんある。

「そもそも新聞小説のヒロインとやらは字が読めるのか? 王都の庶民の識字率はそこそこ高いが、孤児院育ちとなると最低限の読み書きしかできないはずだぞ」
「真実の愛の前にそんなリアリティはいらないんですよ。ヒロインちゃんは未来の王太子妃になるんですから。彼女は孤児院では最年長なので、下の子たちに読み書きを教えているんです。ダダン殿下に「デートの記念に何かプレゼントさせてほしい」と言われて、心優しいヒロインちゃんは「子どもたちのために絵本が欲しいの」と本屋へやってくるんです。それを覗き見していた悪役令嬢キャサリンが嫉妬の炎を燃やして、ついにはならず者を手配してヒロインちゃんを襲わせる最終手段に……」
「わかったわかった、今全部話さなくてもいい。その、読む楽しみがなくなってしまうからな」
「え……? ジェスト様、もしかして小説読んでくださってるんですか?」
「はぁ? 当たり前だろう。誰が執筆依頼したと思ってるんだ」
「あ、そういう……」

 それはそうだ。カトリーナ様の婚約破棄につながるかどうかの鍵となる小説をチェックしないわけがない。アレン殿下も小説に合う仕込みをすると言っていた。中身を読み込んでいなければそんなことできるはずもない。

 彼らにとって私の小説を読むのは仕事の一環。わかりきっていたことだ。そう気を取り直して高い棚の本を取ろうと背伸びしてみれば。

「その、なんだ。おまえの小説は、仕事抜きにしてもいいものだと思うぞ。文章もうまいし、何より書くことが楽しいという気持ちが全面に出ている」

 微妙に届かない私の代わりに棚から本を取ってくれた彼が、私の手にそれを置いた。

「えええっ? 文章にそんなもの、現れてましたか?」
「いや、おまえが執筆している姿のことだ。一心不乱にペンを動かしている姿がなんだか……輝いて見えることがある。よほど楽しいんだろうと、声をかけるのを躊躇うくらいにな」
「……!!」

 エイムズ家のお屋敷で小説を書く私をたびたび訪ねてきてくれる彼は、なんだかんだと言いながらも邪魔することなく私の傍に控えてくれていた。見張られているものとばかり思っていたけど、そんなふうに思っていたなんて。

 またしても顔が赤くなる。ぷしゅぅっと湯気まで出てしまいそうだ。渡された本を思わず抱きしめながら、誤魔化すように叫んだ。

「あ、あの! 私、これ買ってきますので」
「おい待て、おまえ、本当にそれ買うつもりか?」
「え?」

 言われて胸元の本のタイトルを確認してみれば———。

「……“肥溜めの歴史”」
「まぁ、馬の糞の有効利用法はハミルトン家の令嬢として気になるところか。勉強熱心なのはいいことだ」

 いや、ちょっと待って! これ取ったのあなたですよね? 私が気になったのはその横にあった美しい薔薇の栽培方法の本だから! いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁ穴があったら掘り……じゃない、入りたい!!

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