もう分別のある 大人ですから
休日の間、夏希は毎晩冬馬に抱かれた。
冬馬は口には出さなかったけれど、きっと男性のいる飲み会が相当気に入らなかったのだろう。自分の女だと知らしめるかのように、執拗に、確かめるように抱き続けた。
朝になるたび、身体のどこかがまだ熱を持っていて、それが自分のものじゃないような気がした。
月曜の朝、身体中が悲鳴をあげながらも、なんとか会社へ向かった。
夜はろくに眠れていない。お腹はズキズキと鈍く痛み、腰にも違和感が残っていて、長時間立ちっぱなしの仕事は正直きつい。
早く家に帰って、何も考えずに眠りたい。そう思いながら、なんとか一日をやり過ごした。
家に帰ると、夏希は鞄を置くのももどかしく、ベッドに身体を投げ出した。
食欲は湧かない。ただ、ひたすら疲れていた。
それなのに頭だけは休まらず、考えたくもないことが次々と浮かんでは消えていく。
冬馬と別れる、という考えが、ぼんやりと輪郭を持ち始める。
でも、きっと簡単には別れてくれない。どう切り出せばいいのか、何と言えば角が立たないのか。考えれば考えるほど、わからなくなっていった。
そもそも、なんで別れようと思ったんだろう。
冬馬は普段はよくしてくれる。愛情も注いでくれているし、大きな不満があるわけでもない。穏やかに過ごせている、と言えなくもない。
赤澤のことが頭に浮かぶのも、きっと懐かしかっただけだ。
最近、何も起こらない毎日が続いていたから、少しの刺激に心が揺れただけ。
十年も会っていなかったし、特別な関係だったわけでもない。それなのに気になるなんて、おかしい。
ましてや、赤澤とどうこうなるなんて、あり得るはずがない。
何を期待して、冬馬と別れようとしているんだろう。
冬馬を逃したら、結婚だって当分遠のくかもしれない。
赤澤にだって、彼女の一人や二人いてもおかしくない。あのルックスでいない方が、むしろ不自然だ。
考えるほど、心も身体も疲れていく。
これ以上何も考えたくない。そう思うのに、思考は止まらなかった。
現実逃避のように、冷蔵庫を開ける。
けれど、アルコール類はひとつも見当たらなかった。
今から外に出るのは面倒だったが、どうしても飲みたい気分になってしまい、夏希はコンビニへ向かった。
お酒のコーナーでしばらく悩み、ビール二本とチューハイ三本をカゴに入れる。
袋に詰めてもらい、会計を済ませて店を出ようとした、その時だった。
赤澤と、ばったり目が合った。
スルーできる距離じゃない。夏希は反射的に、お酒の入った袋を背中側へ隠した。
よりによって、今日。しかも、今このタイミングで会うなんて。
「お疲れ」
「うん、お疲れさま」
赤澤の声を聞いた瞬間、この前の別れ際の言葉が、ふっと蘇る。
「この後、暇?」
あまりにも自然な問いかけに、夏希は一瞬言葉を失った。
彼氏がいるのに、他の男と二人で過ごすのはよくない。断らなきゃ。
そう思う反面、ここで断ったら、もう二度と誘われない気がして、胸の奥が少しだけざわついた。
「ひまは、ひまなんだけど……」
そう言って、袋を持ち上げて見せる。
この状況を、赤澤はどう受け取るんだろう。
袋の中身を見て、赤澤は一瞬「あっ」という顔をしたあと、何か思いついたように言った。
「ちょっとだけ、居酒屋行かん?」
判断を委ねられた形になって、夏希は小さく肩をすくめる。
「仕方ないなー。付き合ってあげる」
「自分だって、飲みたい気分だったくせに」
そう言って、赤澤はほんの少しだけ口角を上げた。
二人で居酒屋まで歩く間、赤澤は何も言わずに、夏希の袋を持っていた。
その沈黙が、不思議と気まずくない。
カウンター席は、ちょうどいい距離感だった。
顔を正面から見なくていい分、かえって話しやすい。
最初にビールを頼み、軽くグラスを合わせる。
夏希は勢いよく飲み干し、それを赤澤は黙って見ていた。
「夏希が、そんなに酒飲むの意外だわ」
「どういう意味?」
「中学の頃、おとなしいイメージだったから。ギャップあるなって」
「私も、自分がこんなに酒にハマるとは思わんかったよ。弱いと思っとったし。
……あ、春は?」
顔がじんわり熱くなる。自分でも、赤くなっているのがわかった。
「まぁ、そこそこ。普通」
夏希はもう一度、音を立ててお酒を流し込んだ。
「あんま無理すんなよ。もう顔赤いし」
メニューを見ながら、赤澤は静かに言った。
「大丈夫。限度くらいわかっとるし」
他愛もない会話を続け、空気が落ち着いた頃。
夏希は、考える前に口を開いていた。
「ねぇ春。なんで私を誘ったの? 中学の時、ほとんど話したことなかったのに」
赤澤はすぐに答えなかった。
正面を向いたまま、言葉を探すように、少し間を置いてから言う。
「なんとなく。懐かしくて……単純に、気になった」
その一言で、みぞおちのあたりが、きゅっと締めつけられた。
「夏希は? なんで断らんかった?」
同じ質問が返ってくるとは思っていなくて、夏希は一瞬息を詰めた。
同じように前を向いたまま、答える。
「私も……なんとなく、気になったから」
まるで両片思いをしている高校生みたいに、互いに顔を見れなかった。
彼氏がいることを言うべきか、迷う。
でも、聞かれてもいないのに言う必要はない、と自分に言い聞かせた。
嘘をついているというより、まだ決めきれない自分を、知られたくなかった。
「もう帰るか。まだ月曜だし」
赤澤はそう言って、伝票を持って立ち上がった。
「待って、半分払わせて」
「いーよ。俺が誘ったんだし」
「だめ。私は、たとえ彼氏でも奢られるの好きじゃないの」
そう言って、夏希はお金を差し出した。
店を出ると、赤澤は「気をつけて帰れよ」とだけ言って、そのまま別れた。
家まで送ろうとしない、その距離感が、妙に心地よかった。
夏希は「またね」と手を振り、お酒の入った袋をゆらゆら揺らしながら、家路についた。
冬馬は口には出さなかったけれど、きっと男性のいる飲み会が相当気に入らなかったのだろう。自分の女だと知らしめるかのように、執拗に、確かめるように抱き続けた。
朝になるたび、身体のどこかがまだ熱を持っていて、それが自分のものじゃないような気がした。
月曜の朝、身体中が悲鳴をあげながらも、なんとか会社へ向かった。
夜はろくに眠れていない。お腹はズキズキと鈍く痛み、腰にも違和感が残っていて、長時間立ちっぱなしの仕事は正直きつい。
早く家に帰って、何も考えずに眠りたい。そう思いながら、なんとか一日をやり過ごした。
家に帰ると、夏希は鞄を置くのももどかしく、ベッドに身体を投げ出した。
食欲は湧かない。ただ、ひたすら疲れていた。
それなのに頭だけは休まらず、考えたくもないことが次々と浮かんでは消えていく。
冬馬と別れる、という考えが、ぼんやりと輪郭を持ち始める。
でも、きっと簡単には別れてくれない。どう切り出せばいいのか、何と言えば角が立たないのか。考えれば考えるほど、わからなくなっていった。
そもそも、なんで別れようと思ったんだろう。
冬馬は普段はよくしてくれる。愛情も注いでくれているし、大きな不満があるわけでもない。穏やかに過ごせている、と言えなくもない。
赤澤のことが頭に浮かぶのも、きっと懐かしかっただけだ。
最近、何も起こらない毎日が続いていたから、少しの刺激に心が揺れただけ。
十年も会っていなかったし、特別な関係だったわけでもない。それなのに気になるなんて、おかしい。
ましてや、赤澤とどうこうなるなんて、あり得るはずがない。
何を期待して、冬馬と別れようとしているんだろう。
冬馬を逃したら、結婚だって当分遠のくかもしれない。
赤澤にだって、彼女の一人や二人いてもおかしくない。あのルックスでいない方が、むしろ不自然だ。
考えるほど、心も身体も疲れていく。
これ以上何も考えたくない。そう思うのに、思考は止まらなかった。
現実逃避のように、冷蔵庫を開ける。
けれど、アルコール類はひとつも見当たらなかった。
今から外に出るのは面倒だったが、どうしても飲みたい気分になってしまい、夏希はコンビニへ向かった。
お酒のコーナーでしばらく悩み、ビール二本とチューハイ三本をカゴに入れる。
袋に詰めてもらい、会計を済ませて店を出ようとした、その時だった。
赤澤と、ばったり目が合った。
スルーできる距離じゃない。夏希は反射的に、お酒の入った袋を背中側へ隠した。
よりによって、今日。しかも、今このタイミングで会うなんて。
「お疲れ」
「うん、お疲れさま」
赤澤の声を聞いた瞬間、この前の別れ際の言葉が、ふっと蘇る。
「この後、暇?」
あまりにも自然な問いかけに、夏希は一瞬言葉を失った。
彼氏がいるのに、他の男と二人で過ごすのはよくない。断らなきゃ。
そう思う反面、ここで断ったら、もう二度と誘われない気がして、胸の奥が少しだけざわついた。
「ひまは、ひまなんだけど……」
そう言って、袋を持ち上げて見せる。
この状況を、赤澤はどう受け取るんだろう。
袋の中身を見て、赤澤は一瞬「あっ」という顔をしたあと、何か思いついたように言った。
「ちょっとだけ、居酒屋行かん?」
判断を委ねられた形になって、夏希は小さく肩をすくめる。
「仕方ないなー。付き合ってあげる」
「自分だって、飲みたい気分だったくせに」
そう言って、赤澤はほんの少しだけ口角を上げた。
二人で居酒屋まで歩く間、赤澤は何も言わずに、夏希の袋を持っていた。
その沈黙が、不思議と気まずくない。
カウンター席は、ちょうどいい距離感だった。
顔を正面から見なくていい分、かえって話しやすい。
最初にビールを頼み、軽くグラスを合わせる。
夏希は勢いよく飲み干し、それを赤澤は黙って見ていた。
「夏希が、そんなに酒飲むの意外だわ」
「どういう意味?」
「中学の頃、おとなしいイメージだったから。ギャップあるなって」
「私も、自分がこんなに酒にハマるとは思わんかったよ。弱いと思っとったし。
……あ、春は?」
顔がじんわり熱くなる。自分でも、赤くなっているのがわかった。
「まぁ、そこそこ。普通」
夏希はもう一度、音を立ててお酒を流し込んだ。
「あんま無理すんなよ。もう顔赤いし」
メニューを見ながら、赤澤は静かに言った。
「大丈夫。限度くらいわかっとるし」
他愛もない会話を続け、空気が落ち着いた頃。
夏希は、考える前に口を開いていた。
「ねぇ春。なんで私を誘ったの? 中学の時、ほとんど話したことなかったのに」
赤澤はすぐに答えなかった。
正面を向いたまま、言葉を探すように、少し間を置いてから言う。
「なんとなく。懐かしくて……単純に、気になった」
その一言で、みぞおちのあたりが、きゅっと締めつけられた。
「夏希は? なんで断らんかった?」
同じ質問が返ってくるとは思っていなくて、夏希は一瞬息を詰めた。
同じように前を向いたまま、答える。
「私も……なんとなく、気になったから」
まるで両片思いをしている高校生みたいに、互いに顔を見れなかった。
彼氏がいることを言うべきか、迷う。
でも、聞かれてもいないのに言う必要はない、と自分に言い聞かせた。
嘘をついているというより、まだ決めきれない自分を、知られたくなかった。
「もう帰るか。まだ月曜だし」
赤澤はそう言って、伝票を持って立ち上がった。
「待って、半分払わせて」
「いーよ。俺が誘ったんだし」
「だめ。私は、たとえ彼氏でも奢られるの好きじゃないの」
そう言って、夏希はお金を差し出した。
店を出ると、赤澤は「気をつけて帰れよ」とだけ言って、そのまま別れた。
家まで送ろうとしない、その距離感が、妙に心地よかった。
夏希は「またね」と手を振り、お酒の入った袋をゆらゆら揺らしながら、家路についた。