夜を繋いで君と行く
ガナッシュ味のキス
* * *

「二階堂さんっ!」

 甘ったるい声に振り返ると、その声通りの人が立っていた。『星宮ゆりあ』、芸名なのか本名なのかもわからないが、来週公開の映画でヒロインを務めているアイドルだ。本業は声優ではない人間がキャスティングされること自体はままあることであるため特に何も考えてはいなかったが、12月のイベントでしか接点がないのにやたらと距離が近くて、律は一歩下がった。無下にするわけにもいかないため、営業に差し障りのない程度には笑顔を浮かべて対応することにする。

「こんばんは。今日はここで仕事ですか?」
「はいっ!なかなかお仕事、ご一緒できなくて寂しいです。せっかく作品でご一緒できたのに…。」

 しゅんとされたって困る。それにやけに鼻につく女っぽい匂いは苦手だ。怜花からはこんな匂いはしない。そんなことを思うと余計に気持ちが急いてしまう。今日は怜花からバレンタインのチョコを貰う日なのだから。

「仕事のジャンルが違いますから、仕方ないですよ。来週の舞台挨拶、よろしくお願いします。」
「はいっ!あっ、あの…。」
「なんですか?」

 さっさとしてほしい。こっちは一刻も早く帰りたいのだ。その気持ちを悟られないようにするのに、必死に声を取り繕う。

「あの、よければ舞台挨拶の前に仲良くなって、…舞台挨拶でも仲良くお話できたらって思ってるんですけど…。」

 上目遣いをされても困る。さっきからずっと困っている。一般的に可愛いとされているのかもしれないが、重たそうに揺れるまつげも、目の下がやけに強調されたメイクも全く好みじゃない。

「すみません。星宮さんのような方と仲良くなると、あることないこと言われますのでそれは双方の立場上、避けた方が良いことかと思いますので。舞台挨拶当日の打ち合わせで話す内容を考えましょう。失礼します。」

 あくまで私情を挟まないように気をつけて、律は小さく頭を下げてその場を去る。どっと疲れてしまった。雑誌のインタビューも撮影もそこまで疲労するものではなくなったはずなのに、肩のあたりが重く感じる。

(…早く帰りたい。あの空気を吸い込みたい。)

 家の空気に、怜花の香りが少しだけ混じる。あの空気に満たされたい。今は鼻が壊れてしまいそうだった。
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