年下ワンコと完璧上司に溺愛されて困っています。
 足音だけが響くオフィス街の裏通り。人通りはまばらで、ビルの谷間に沈む夕方の光が灰色に薄まっている。
 日は傾き始めているのに、アスファルトには昼間の熱気がまだこもっていて、むっとした空気が肌にまとわりついた。
 思わずバッグから取り出したハンカチで首筋と額の汗をぬぐう。
 そのとき——。

「……俺にはお前しかいないんだ。戻ってきてくれ……!」

 不意に、かすれた男の声が路地裏から漏れてきた。

(……痴話喧嘩? こんな時間からオフィス街で……やだなあ。スルーしよスルー……)

 視線を逸らし、なるべく気配を殺して通り過ぎようとする。
 ——その瞬間、視界の端にちらりと映ったのは、夕日に照らされた金色の髪。

(……えっ? 金髪?)

 胸がざわつき、反射的に振り返ってしまった。

 そこには——
 路地裏の壁際で背の高い男に押し込められるようにして、密着して立つスレンダーな美青年の姿があった。
 見慣れた端正な横顔。長いまつ毛の影が頬に落ち、淡く光る金髪。
 
 碧だった。

 相手はスーツ姿の細身の男。
 片手で金髪の美青年——碧の頬を支え、逃がさないように顔を傾け、唇を重ねていた。
 最初はわずかに押し返す仕草を見せた碧だったが、その力はすぐに弱まり——結局は受け入れるように瞼を伏せる。
 吐息が混じり合い、路地裏に湿った音が漏れる。
 お互いの吐息が漏れるほど濃厚に——甘やかに絡み合うようなキスだった。

 息が止まる。
 視界が揺れ、頭の中が真っ白になる。
 見たくなんてないのに——目が離せなかった。
 彼らの吐息が絡み合う音が耳に届くたび、呼吸が詰まって喉が苦しくなる。
 全身が強張り、足は震えて動かない。
 
 そのとき碧がふっと顔を上げた。
 そして——杏の存在に気づく。

 ほんの一瞬、驚いたように目を瞬かせて。
 でも、次の瞬間。彼は何事もなかったように、にこりと笑って小さく手をひらひらと振ってきた。
 スーツの男と唇を重ねたまま。


(………………………………っ!!)

 胸の奥がきゅっと締めつけられる。
 
(ふざけないでよ!!)

 怒りなのか、嫉妬なのか、自分でもわからない感情が渦巻き、思わず足を早めた。
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