年下ワンコと完璧上司に溺愛されて困っています。
 ……そう思いながら五日間、うじうじ悩み続けた。

 距離をおかないといけない。そう思えば思うほどに、彼の顔が、言葉が、体温が、頭から離れなくなる。
(どうしよう……わたし、(あおい)のことが好きになってしまったのかもしれない)
 
 悩んだ末に、私ができたのは「シャツを返す」という口実で碧のお店に向かうことだった。

 ドアを開けた瞬間、目が自然と彼を探してしまう。
 カウンターの奥、シェイカーを振る碧がスポットライトを浴びたみたいに輝いて見えた。
 柔らかく揺れた前髪が照明に反射してきらめき、長いまつ毛が影を落とす。
 そして何より——黒のベストに白いシャツ、タイで引き締められたバーテンダーの装いが、すらりとした体にぴたりと合っていて、胸がざわめいた。

(やば……似合いすぎでしょ。かっこいい……! 一目見ただけでドキドキしてる。あの唇に、わたし——……)

 ……けど、現実は容赦なく目に飛び込んでくる。
 ファンっぽい女の子たちに囲まれて笑っている碧。
 (あー……やっぱモテるんだ……)

 私は少し離れた席に腰を下ろした。
 様子を伺っていると、碧がこちらに気づいて歩いてくる。

 「こんばんは。ご注文は?」

 あれ? なんか想像してたよりずっと塩対応。
 『おねーさん!また来てくれたんだ!』ぐらい言ってくれるかと思ってたのに。
 さっきまで他の女の子たちとはあんなに盛り上がってたのに……ちょっとシュンとする。

 適当にカクテルを注文して、結局シャツは渡せなかった。
 (……なのに、また女の子と盛り上がってるし。私、何やってんの)
 ついつい碧のことを目で追ってしまう。

 やがてカクテルを持ってきた碧が、にこっと笑って一言。
 「ゆっくりしていってくださいね」

 社交辞令みたいに聞こえて、やっぱり塩対応じゃね?と思ってしまって。
 胸の中に小さなイライラがつのっていく。

 それでも観察を続けてしまう私の目に映ったのは——。
 華麗にシェイカーを振る碧。
 女の子のリクエストで、得意げに二刀流でシャカシャカと。

 ……が、どう見ても「マラカス芸人」みたいなリズム感。

 思わず、口元がぷるっと緩みかける。
 あれ? かっこいいよりは滑稽な感じ?
 なのに女の子にキャーキャー言われて、まんざらでもない顔してるし。

 
 ………………

 
 (……スンッ)
 (なんか冷めたわ)


 
 会計の時。
 私は伝票を差し出しながら、お札をスッと置いた。
 「おつりはいらないから」

 大人の余裕を装いながら、さらっと言う。
 「ごちそうさま。それと、これ」

 持ってきていたシャツを手渡すと、そのままスタスタと店を後にする。
 背中だけは妙に“大人の余裕”を漂わせて。

 こうして、蛙化現象によりわたしの六年ぶりのガチ恋未遂は終わったのだった。
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