蝶々のいるカフェ

第5話 マスターのいないカフェ

 カラン……

 ドアを開けて、中へ入るとバイトの恋ヶ窪さんが忙しそうにしていた。

 注文を取り、コーヒーを入れ、ケーキ等を用意し、一人で客席まで運んでいた。

 今、声をかけたら余計に手を煩わせると思って、私は黙って席に着いた。

 しばらくして、他の注文等が終わったのか、私のところへやって来た。

「マスターは居ないのかい?」

「コーヒーやケーキの在庫が予想より早めに切れたらしくて、市場に行ってます。なので、私が頑張らないと」

 店に店員が自分一人しか居なんじゃ大変だろう。しかし、店に来たからには私も注文をしないといけない。私はエスプレッソだけを頼んだ。

 注文はしたものの、例の蝶々は、この席には来なかった。


「また。特別メニューを逃したか」

 おっと、これは独り言である。

 新聞を読んでいると、隣の席から嬉しそうな声がした。

「えっ? いいんですか?」

 これはあれだ。おそらく、席に蝶々が止まって、特別メニューが無料で貰えるやつだ。頻繁にこういう光景を見るが、私は蝶々が席に止まったことはない。まあ、今日は恋ヶ窪さんがひとりなので、自分の席に止まらなくてもいいんだが。

 恋ヶ窪さんがキッチンへ入っていた。おそらく特別メニューを作るのだろう。キッチンのドアが半分ほど開いていたので、私は凝視した。

 どうやらイチゴムースのようだ。下地はできているようで、そこにホイップクリームで模様を作り、チョコソースで何かを描いていた。

 その後、コーヒーなどと一緒にそのイチゴムースをお盆に乗せ、小走りで席へ行き、それを客へ出していた。チョコソースで描いたのは、どうやら蝶々のイラストのようだ。それにしても、忙しそうだ。


 カラン……

「こんにちは」

「いらっしゃいませ」

「あれっ? マスターは?」

 マスターを気にしている客。そういえば、よく見る客だ。常連客ってやつだな。まあ、私も常連客みたいなものだが。

 恋ヶ窪さんがマスターは今は居ないと説明している。

「今日はちょっと市場に行ってまして」

「そっかー。じゃあ、今日はおいとまします。チーズトマトトーストが食べたかったんだけどね。マスター以外、作れないはずだから。おそらく私しか頼んでいなかったし」

「ちょっと待ってください。私が作ります!」

 恋ヶ窪さんがどうやら、そのメニュー、チーズトマトトーストを作るらしい。

 しかし、目を見るとちょっと焦っているようだ。勢いで、そう言ってしまったみたいな。

「よし、一緒に作ろう。マスターとは長い付き合いだ。キッチンにも入った事がある」

 そういうわけで、私と恋ヶ窪さんはキッチンでチーズトマトトーストというものを作ることになった。

「そういえば、キッチンの隅の棚にレシピが書かれたノートがあったはずだ」

 そして、棚があった方向を見る。

「棚の位置は昔と変わってないな。極秘ノートってわけでもないだろうから、すぐに見つかるさ」

 棚を見て、いくつかのファイルに紛れて、ノートがあった。

「たぶん。これだ。以前より古ぼけているけど。しかし、時間が経つのは早いな」


 私はパラパラッとノートをめくった。

 めくっている最中に、トーストのようなもののイラストが目に留まった。

「たぶん、これじゃないか?」

「たしかに、そんな気がします。トマトも乗ってますし」

「じゃあ、作ってみるか」

 レシピを見ながら、トーストを作っていった。

 食パンにマヨネーズを塗り、チーズを乗せる。そして、オープントースターで焼く。

 その間にトマトを輪切りにしておく。

 焼いたチーズトーストにトマトを乗せて、再びオーブントースターへ軽く焼く。

 出来上がったものを彼女と一緒にノートのイラストを見て、チェックする。

「このイラストだと、トーストになんかのペーストか何かが乗ってませんか?」

 確かに乗っているような気がするが、キッチンにはそのようなものは見当たらない。

 しかし、テーブルには眼鏡のようなものが置いてあった。

「そうそう。この前の眼鏡、直ったんですよ」

 そう言いながら、彼女は眼鏡を掛けた。

「あれっ? キッチンに蝶々が飛んでます」

 蝶々は客席のほうではなく、こちらに居たのか。

「別の棚の周りを飛んでます」

 この棚を探せと言うことなのだろうか。

 私は棚を開けて見た。ビンがいろいろと置いてあるがよくわからない。

「蝶々があのビンの周りを飛んでます。ひでんってラベルが貼ってあります」

「これか?」

 私はそのラベルが貼ってあるビンを取り出した。ビンの蓋を回してみたが、なかなか開かない。

「マスター、強く閉めすぎだよ」

 と言いながら、強く蓋を回した。

 ポンッ

 大きな音を立てて、蓋が開いた。トマトの香りが舞ってきた。

 おそらく、これだろう。

 ペーストと言うか、ジャムのようなものをヘラでトーストに塗ってみた。

「そうそう。全体的にこんな感じの香りでした。一度、材料がちょっと余ったって言っていて、一口サイズのを食べさせてもらったことがあるんです」

 食べたことがあるのなら、おそらく大丈夫だろう。

 恋ヶ窪さんが席まで、そのトーストを運んでいく。

「おまちどおさまです」

「おっ、この香りだよ」

 客は喜んで食べ始めた。

「美味しかったよ。これからはマスターが居なくても食べられるね」

 そう言って帰っていった。

 ドット疲れが来たのか、私と彼女はその場に崩れた。

 カラン……

 ぐったりしていると、マスターが帰ってきた。 

「もう。今日は大変だったんですよ」

「すまんすまん」

 マスターも帰ってきたし、もう大丈夫だろう。

 しかし、あの蝶々は何でも知っているな。どういうことなんだろう。

 私は店を後にした。



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