許婚の犬神クンには秘密がある!

【第二話】犬神クンの正体!?

「あんたどうしたの!?さっき出て行ったばかりでしょう」

 茜さんが慌てて抱きかかえると、優君が睨んだように目を細めた。ウゥッと微かに唸り声を上げている。

「ははぁ~ん。さては、散歩中の犬に触ったな」
「私、薬持ってきました。父から新しい薬が届いたので、これを」

 カバンから、新しい薬を出した。昨日、父から届いたもの。
 茜さんは薬を受け取り、「ごめんね」と言いながら優君を連れて診察室へと入っていく。待合室のソファに腰を下ろした。

「はぁー・・・」

 思わず両手で顔を覆った。
 どうしよう。さっきの睨んでた優君の顔・・・。めっちゃ可愛かった!ぶすっとしてたの、可愛すぎて抱きしめちゃいそうだったよっ。でも、そんなことしたら絶対怒られる。
 すると、足元でまめ蔵が鳴いていた。

「心配してくれてるの?。ふふふ、でも大丈夫よ。これが恋煩いって言うのかな?」

 まめ蔵を抱き上げると、私の頬をチロチロと舐めた。

「くすぐったいよ、まめ」
「千保ちゃん。お待たせ」
「はい!優君、大丈夫でしたか?」
「うん、なんとかね。いつもありがとう。ほーらっ、あんたも感謝しなさいよ優一郎」

 茜さんに引っ張られながら、眉間に皺を寄せた優君が出てきた。こっちが優君の本来の姿。近寄ろうとしたまめ蔵を睨みつけ、距離を置いた。
 うぅ・・・人になると、目つきの鋭さが増している。

「今回の薬、効き早かったわ!副作用もそこまでないみたい」
「苦すぎて舌もげる」
「優君は苦いのダメだもんね。飴、持ってるけど舐める?」
「うるせぇ。痛っ!!」

 優君の後頭部を、茜さんが笑いながら叩いた。

「言葉遣いに気をつけなさい。ったく、こんな可愛い子があんたの許婚だなんて、信じられないわ。せいぜい捨てられないようにしなさいよ」
「あ、茜さんそんな、へへ。許婚だから捨てるなんてしませんよ」

 改めて許婚という言葉に照れてしまった。優君を見ると、先ほどより皺が濃くなっている。私といるときは、よくこういう表情になる。
 昔はもう少し笑っていてくれたはずなのに・・・。

「バカ親共が勝手に決めたことだろう。俺には関係ねぇ」
「ワンッワンッ!!」
「うわぁっ!俺に近づくな!」

 優君はまめ蔵に触れないよう、壁にへばりつくようにすみへ逃げた。

「二人ともそろそろ時間じゃない?」
「そうだ!急がないと遅刻しちゃう。まめ蔵もお利口さんで待っててね。行ってきます!」
「いってらっしゃーい」

 先に出て行ってしまった優君の隣まで駆け寄った。
 春の気候は心地よく、私の背中を押してくれているようだった。

「優くーん!待ってー」
「あのな、その呼び方いい加減やめろ」
「どうしたの急に。なに怒ってるの、優君?」
「だから、その呼び方だよ!絶対に学校では名前で呼ぶなよ」

 両眼を吊り上げながら大股で前に進んでいく。
 優君、今日はいつも以上にご機嫌ななめだな。私も負けじと、歩幅を大きくしながら優君の隣をキープして歩いた。

「じゃぁなんて呼べばいいの?」
「名字で呼べばいいだろう。もう中学生なんだから」
「名字なんて、私も二十歳になったら、犬神になるんだからおかしいでしょ」
「おかしくねぇ!それが普通なんだよ。・・・だいたい許婚の話だって、親同士が勝手に決めただけなんだから。学校の奴らにバレたらなんて言われるか」

 ぶつぶつと言いながら、赤信号に足を止めた。隣にいる優君を見上げると、黒髪がサラサラとなびいている。その横顔に目が留まった。胸の奥がきゅっと締め付けられる。
 前髪、伸びたなぁ。切らないのかな?なんて思っていたら、視線が交わった。吊り上げていた目が少しだけ目を丸くなっている。その瞳が左右に動くと、サッと顔を背けてしまった。

「お前だって迷惑だろ。ってかお前の親父はまだ帰って来ねぇのかよ」
「お父様?当分は帰って来ないよ。忙しい方だから」
「まだドイツでよくわかんねー研究してんのか」
「今はフランスだよ」
「あっそ・・・」
「さっき優君が飲んだのは、自信作だったみたい!苦かったって言ってたけど・・・。お父様に伝えておくね」

 私の父、西条寺鉄之進(サイジョウジ テツノシン)は大手製薬会社の会長である。今は新薬の開発にアメリカ、ドイツ、フランスとあちこちに飛び回っている。
 小学生までは、お父様について海外を転々としていたけど、中学からは優君と一緒に通える学校を選らんだ。

「そうだ優君、今度――あっ」

 ギッと刺すような視線を向けられた。
 あぁ、そんなに皺を寄せると痕が残っちゃうのに。

「薬で完治できるなんて、期待してねぇよ」
「でもこうやって、すぐに人の姿に戻れるようになってるから。意味ないことないよ!・・・確かに副作用とかは辛いかもしれないけど」
「親父みたいに、自分で克服するしかないんだ」
「か、完治までと言わなくても、そのお手伝いくらいはできると思うの」
「・・・」
「でしょ?」

 信号が青に変わった。優君は黙ったまま、前を向き歩き出した。小さくなる背中に、ふとお父様の言葉を思い出した。

『犬神家には決して世間に口外してはならぬ秘密があるのだ』
『秘密?』
『お前もそれを生涯、外に漏らしてはならんぞ。口外すれば、犬神家は世間から奇異の目で見られ、その存在自体が危ぶまれてしまう――』

 その言葉を胸に刻み、私は犬神君の背中を追った。
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