【完結】春の庭~替え玉少女はお飾りの妻になり利用される~
29 お飾りの妻の私と、クリス様のバイオリン
私はすっかり途方に暮れてしまったが、クリス様の切り替えは早かった。
「ピアノで曲の全てを弾けるようにしておいて下さい」
「バイオリンを…合奏をやめてしまうの?」
「そこそこの腕の、プロのバイオリニストを雇います。その者たちもウサギのマスクをさせて、貴女の後ろで演奏させます」
「ハリー様抜きってこと? そんな事ハリー様が黙っているわけないわ」
「ハリー様にも演奏はしてもらいますよ。サビの気持ちいい部分だけ……舞台の真ん中で弾かせたらきっと満足しますよ」
クリス様は大きなため息を吐く。
「貴女様だってお分かりでしょう? ハリー様程度のバイオリニストなんて掃いて捨てるほどいる。ハリー様の演奏なんて音楽の殿堂、ブラクトンホールでは通用しませんよ。……オリヴィア様、貴女は天才であり、偉大なる音楽家(ヴィルトゥオーソ)だ。そんな貴女がこのまま利用され続けるなんて、許されることではありません!」
彼の大きな両手が、私の両手を包む。
「もう少しだけ我慢して下さい。私が必ず、貴女を自由にしてみせます!」
それから、クリス様はブラクトンホール用の編曲に没頭するようになった。昼間はハリー様の代わりに次期公爵としての執務も行っているはずだから、きっと夜中に寝ずにしておられるのだろう。
たまにふらりと音楽室に現れ、この編曲はどうだろうかと以前のようにアイデアを出し合う。この時間がとても楽しい。
ハリー様のために今までは避けていたが「貴女の技巧と表現力を見せつけてやるんです」と言って、次々と難曲をプログラムに加えていった。
「酷い隈ですね」
クリス様は一回り痩せた気がするし、その目にはくっきりと黒い隈ができた。
「ふふふ、色っぽいってメイドたちに褒められたんですよ」
こんな冗談を聞くのは初めてで、しかも色っぽいって……何故か心がきしんだ。
「あぁ……ここの導入部分、分かりにくいですよね」
私の目が譜面を見つめたままだったのを勘違いした彼は、棚からバイオリンを取り出し、いきなり演奏を始めた。
驚くほど澄んだ音色が、私の鼓膜を揺らす。
まるで静かな湖面のようにその音色は澄んでいるのに、情熱的でとても色っぽい。
流れるようなその旋律に、思わず聞き入ってしまった。
「つっ…!」
だが、突然レオン様は演奏を辞めた。
左手が小刻みに震えている、痙攣している?
「私の演奏はいかがでしたか?」
「……す…すばらしいです!」
「ほんとうに?」
「は……い」
興奮して声が震える。
「世辞じゃなく?」
「今まで聞いたバイオリンの中で、一番綺麗な音でした」
「……ははは…大音楽家の貴女にそう言われて、世辞でもすごく嬉しい」
クリス様は笑っていた。
そこには何の思惑もない。
少年のようにただ笑っていた。
「子供の頃、ケガをしましてね。バイオリンを失いました」
袖をまくった左腕には、縦に30㎝ほどの大きな切り傷があった。
「……私が貴女と、アンサンブルがしたかった」
「私が貴女と、ブラクトンホールに立ちたかった」
「ピアノで曲の全てを弾けるようにしておいて下さい」
「バイオリンを…合奏をやめてしまうの?」
「そこそこの腕の、プロのバイオリニストを雇います。その者たちもウサギのマスクをさせて、貴女の後ろで演奏させます」
「ハリー様抜きってこと? そんな事ハリー様が黙っているわけないわ」
「ハリー様にも演奏はしてもらいますよ。サビの気持ちいい部分だけ……舞台の真ん中で弾かせたらきっと満足しますよ」
クリス様は大きなため息を吐く。
「貴女様だってお分かりでしょう? ハリー様程度のバイオリニストなんて掃いて捨てるほどいる。ハリー様の演奏なんて音楽の殿堂、ブラクトンホールでは通用しませんよ。……オリヴィア様、貴女は天才であり、偉大なる音楽家(ヴィルトゥオーソ)だ。そんな貴女がこのまま利用され続けるなんて、許されることではありません!」
彼の大きな両手が、私の両手を包む。
「もう少しだけ我慢して下さい。私が必ず、貴女を自由にしてみせます!」
それから、クリス様はブラクトンホール用の編曲に没頭するようになった。昼間はハリー様の代わりに次期公爵としての執務も行っているはずだから、きっと夜中に寝ずにしておられるのだろう。
たまにふらりと音楽室に現れ、この編曲はどうだろうかと以前のようにアイデアを出し合う。この時間がとても楽しい。
ハリー様のために今までは避けていたが「貴女の技巧と表現力を見せつけてやるんです」と言って、次々と難曲をプログラムに加えていった。
「酷い隈ですね」
クリス様は一回り痩せた気がするし、その目にはくっきりと黒い隈ができた。
「ふふふ、色っぽいってメイドたちに褒められたんですよ」
こんな冗談を聞くのは初めてで、しかも色っぽいって……何故か心がきしんだ。
「あぁ……ここの導入部分、分かりにくいですよね」
私の目が譜面を見つめたままだったのを勘違いした彼は、棚からバイオリンを取り出し、いきなり演奏を始めた。
驚くほど澄んだ音色が、私の鼓膜を揺らす。
まるで静かな湖面のようにその音色は澄んでいるのに、情熱的でとても色っぽい。
流れるようなその旋律に、思わず聞き入ってしまった。
「つっ…!」
だが、突然レオン様は演奏を辞めた。
左手が小刻みに震えている、痙攣している?
「私の演奏はいかがでしたか?」
「……す…すばらしいです!」
「ほんとうに?」
「は……い」
興奮して声が震える。
「世辞じゃなく?」
「今まで聞いたバイオリンの中で、一番綺麗な音でした」
「……ははは…大音楽家の貴女にそう言われて、世辞でもすごく嬉しい」
クリス様は笑っていた。
そこには何の思惑もない。
少年のようにただ笑っていた。
「子供の頃、ケガをしましてね。バイオリンを失いました」
袖をまくった左腕には、縦に30㎝ほどの大きな切り傷があった。
「……私が貴女と、アンサンブルがしたかった」
「私が貴女と、ブラクトンホールに立ちたかった」