聖くんの頼みは断れない

4・楓くんとふたりっきりで調査開始!

 昨日、楓くんは「でも僕には結界士の能力がないから」と表情を暗くしたけれど、すぐにいつもの楓くんに戻った。
 普段見ない楓くんの姿が気になったけど、いつも通りの明るい表情になった楓くんに、くわしくは聞けなくて。
 だって、たとえ結界士の能力がなくたって、楓くんがすてきな男の子であることに変わりはないよ、私の中で。
 でも、聖くんも言っていた。「だれだって、人から見たらたいしたことじゃないことで悩むんだよ」って。きっと、私がなんと言おうとも、楓くんの悩みがすっきり解決する日は、簡単にはおとずれない……のかもね。
 そんなことを思いながら、私は待ち合わせ場所の図書館に向かった。
 今日は、家にある服の中でも、いちばんかわいい洋服を選んだ。
 グレーのギンガムチェックのフリルブラウスに、白のチュール重ねスカートをあわせて春っぽくしたよ。
 髪型も、いつもはストレートのハーフアップだけど……今日はお母さんのコテを借りて、少し髪を巻いてみた。動画を見ながらやってみたけど、うまくできたかな?
 図書館の入り口には、すでに楓くんが立っていた。あわてて駆け寄る。
「ごめん、待たせちゃったね」
 楓くんは、いつものようにやわらかい笑顔をみせてくれた。
「ううん、ぜんぜん待ってないよ」
 春らしいオフホワイトのカーディガンとデニムがすっごくさわやか!
 男の子とふたりで出かけることなんてないから、緊張しちゃうよ。
「聖くんも、来ればよかったのにね」
 私の言葉に、楓くんはあいまいな笑みを浮かべて「……そうだね」とつぶやく。
 聖くんは、家から出ないって言ってたね。
 そういえば、楓くんは聖くんが家から出ない理由を知っているのかな?
 聞きたいけれど、きっと私なんかが聞いちゃダメな気がする。
 それに、今日は調査だから!
「えっと、どうやって調査したらいいのかな?」
 図書館内ではおしゃべりできないから、建物の中に入るまえに作戦会議をしなくちゃね。
「僕は、図書館の人になにかおかしなことはなかったか聞いてみる。藍原さんは、本棚を見てもらうだけでいいかな。あやかしの声が聞こえたら、なんとなくわかるらしいし」
 楓くんの「わかるらしい」という言葉に、私はなにも言えなくなる。
 結界士の能力だけじゃなくて、あやかしの声を聞くこともないんだね、楓くんは。
 口をつぐんだ私を見て、楓くんは悲しそうな笑みをうかべた。
「ごめんね、なにもできないポンコツで……」
「そんなことないよ! 楓くんはすばらしい! サイコー!」
 楓くんに、そんなふうに悲しい顔をしてほしくない!
 私の言葉に、楓くんは目を細めた。
「ごめん、また自虐しちゃったね。でも」
 楓くんは私の左耳に顔をよせ、声を落としてつぶやいた。
「藍原さんにほめてもらいたくて、わざと言っちゃった」
 体を離すと、楓くんは「じゃあ、行こっか」と笑顔で言って、図書館の中へ入っていった。
 私は、手で楓くんの声を聞いた左耳にふれる。
 まったく、どうして阿久津兄弟は私をドキドキさせるの――!?

 市の図書館は、学校の図書室とはちがってとても広い。
 最近リニューアルをしたから中はとっても清潔だし、明るい。大人が勉強をする窓際の席と、子どもたちが自由に本を読めるテーブルも完全にわけられていた。
 中学生が子どもエリアに入っていいのか微妙だけど……私服だし、いいよね。
 まだおさまらないドキドキを抱えつつ、私は腰をかがめて絵本が並んだ小さい子向けの本棚を見ていく。なんだかなつかしい絵本や児童書が並んでいる。
 とくに、異常なし。
 次は、最近よく見ている小学校高学年から中学生向けの棚。
 この本、おもしろそう! あ、こんな本もあるんだ~……って、あやかしじゃなくて、私が読みたい本探しになってしまう。
 だって、あやかしの気配なんて感じないんだもん。
 一応、大人向けの本棚も簡単に見てみたけど、とくにおかしな雰囲気は感じられなかった。
 収穫無し。いいことなんだけど、私が役に立てていないみたいで、申し訳ない気持ちになる。
 楓くんは、どこにいるんだろう? カウンターのほうに行ってみると……図書館のスタッフさんたちと、にこやかにおしゃべりしている楓くんがいた。小さな声だから聞こえないけれど、大人の人たちとすぐに仲良く話せるなんて、すごいよ。
 私が見ていることに気づいたのか、楓くんはちらっと私を見てから、図書館のスタッフさんたちに会釈した。
 私のもとに来た楓くんとともに、図書館のエントランスまで戻る。ここなら、小さな声でなら会話できるからね。
「藍原さん、どうだった?」
「うーん、よくわからなくて……」
 申し訳ない気持ちで、事実を口にする。
「そっか。図書館の人たちも、不審な現象は見聞きしたことがないって」
「平和なのは、いいことだよね」
 そう、いいこと。だれもイヤな思いをしていないんだもん。でも心の中はずっと、焦っていた。私って、役立たずなんじゃないかって……。
「次は、ショッピングモールのほうへ行こう」
 私たちは、海辺にあるショッピングモールまで行くことにした。図書館前のバス停から出るバスで行ける。時刻表を見ると、運よくすぐにバスがくるみたい。
 バス停には、私たちしかいなかった。
 4月の強くなってきた日差しがまぶしくて、私は目を細める。
 ほんとに私、役に立っているのかな……。
 なにもわからない。なにも感じない。
 聖くんも楓くんも、私のことを買いかぶりなんじゃないかな……って不安になるよ。
「藍原さん……なにか、悩んでいる?」
 楓くんに声をかけられて、ハッとする。
 顔に出ちゃっているみたいだから、隠しても無駄かな。私は、今の気持ちを正直に言葉にすることにした。
「私が役に立てるのか不安だよ……あやかしのことがなにもわからない。なにも感じない。これで、ふたりの役に立てているとは思えなくて」
「藍原さんは、外に出たがらない兄と、能力のない僕のサポートをしてくれているだけで十分だよ。こちらこそ、面倒を押しつけてごめんね」
 楓くんが、必死でフォローしてくれている。
「面倒だなんて……! 大変なことではあるけれど、だれかの役に立てることはやっぱりうれしいから、そんなふうには思ってないよ」
 本心で言った。
 今のところ、まったく役に立っていないけれど……ふたりの役に立ちたい気持ちはすっごくある!
「ありがとう。やっぱり藍原さんは、兄さんが思った通りの人だ」
 うれしそうに言ってくれる。
「聖くんの思った通りの……?」
 ああ、と楓くんはちょっと眉を動かした。
「兄さんが河童から藍原さんを助けたあと、家に帰ってきて「同じクラスの藍原仁愛はどんな人?」ってねほりはほり聞いてきて」
 聖くん、あのいっしゅんで私に興味を持ったってこと? あやかしの声が聞こえるから、物珍しかったのかな。
「藍原さんはまじめな読書係の人だよって伝えたら、ぜったい、ウチに連れてこいって」
「そ、そんなに?」
「うん。きっと、みんなを守るヒロインになってくれるって」
「ヒロイン!? 私が!?」
 子どもの頃は、変身して戦うヒロインにあこがれた。私の力でみんなを助けたいって。でも、人助けができる力なんてないから、いつしかあこがれることすらなくなった。
 ずっと、心のどこかにはあったけどね。
 その、ヒロインに? 聖くん、正気なんだろうか?
「兄さんの言った通りだって、今なら僕も思うよ。藍原さんは知識もあるし、まじめでやさしくて、一生懸命にやってくれるから。その分、頼られやすくて、大変なんだろうけど……」
 私は首を振る。
「頼られること自体はうれしいから。でも、どうして聖くんは私をそこまで信用してくれるんだろう?」
 たしかにあやかしの声を聞けるし、本は好き。まじめだとも思う。でも、それだけで……?
「その理由は――」
 そのとき、バスが停留所に大きな音をたててすべりこんできた。扉の開く音に、楓くんの声はかきけされる。
 楓くんはバスに乗り込み、スマホをICカード読み取り機にかざした。
 私もあわてて、スマホを読み取り機にかざす。
 空いていた、いちばんうしろの席に座る。楓くんは窓際、私はその隣。
 バスが発進して落ち着いてから、もう一度たずねた。
「さっき、なんて言ったの?」
「ううん。なんでも。今日はいい天気でよかったね」
 春の日差しは暑いくらいで、開けられた窓から入ってくる風が心地よかった。けど……うまく、はぐらかされてしまった。
 言いたくないなら、無理に聞かないけど、めっちゃ気になるじゃん!
 楓くんは、ほほえみながら窓の外をながめていた。ふわふわの髪の毛が揺れて、かすかにいい香りが私の鼻をくすぐる。聖くんと同じシャンプーのにおいだった。

 窓の外が、一段と明るくなった。海が見えてきて、水面が太陽の光を反射してキラキラ輝いている。ショッピングモールについたみたい。
 降車ボタンを押して、私たちはバスを降りた。私たちのほかにも、多くの人がここで降りていく。バスは駅の方へ走り去った。
 土曜日で、すっごいにぎわい!
「海のほうに行ってみよう」
 ショッピングモールの建物のほうへ行く人に逆らいつつ、私たちは海のほうへ。
 海べりには公園や遊歩道があって、ベンチで休憩したり遊んだりする人がたくさんいた。海と公園の間には柵が建てられているから、安全なんだ。
 私たちの前を、幼稚園くらいの子どもたちが駆け抜けていく。
 すごく、平和な雰囲気。あやかしに悩まされている人なんていそうにもないけど……。でも、水のあるところには「水あやかし」が多いって言っていたし、注意しないとね。
「少し、休憩しようか」
「うん」
 あいていたベンチに座ることに。
 それぞれ持参した水筒から水分補給。氷を入れた麦茶が、汗ばむ体を冷やしてくれる。
「ねえ楓くん。あやかしって、具体的にどんなことをしてくるの? おそわれたら死んじゃうこともあるの?」
 私はまだまだあやかしのことを知らない。楓くんに教えてもらおうと思ったんだけど……楓くんは困った顔をした。
「命を狙われることはよくあるらしいけど……父や兄さんがいつも未然に防いでいるから、実際に僕たちのまわりで命を落とした人はいないんだ。僕は見えないし感じないからわからないんだけど」
 昨日と同じ、さみしそうな顔。
「ごめん、聞いちゃって」
「ううん。……いっそのこと、僕もコンプレックスを聞いてもらおうかな。いいかな、藍原さん」
 楓くんは、すこし迷ってから私にたずねた。
 昨日の、落ち込んだ顔を思いだす。きっと、ずっと自分の中に抱えていた思いがあって、それを私に話そうって思ってくれているんだよね。
「もちろん、断らないよ」
 楓くんはほほえんで、海を見つめながら真剣な表情で話しはじめた。
「僕の親も、おじいちゃんも、その親も……阿久津家の家系は、結界士の血が受け継がれているんだ。あやかしは、古事記や日本書紀にはすでに存在が記されているくらい、大昔から存在する。ずっとずっと、阿久津家はいろんな人をあやかしから守ってきた」
「古事記や日本書紀……平安時代より前、つまり千年以上昔に書かれた歴史書に、あやかしのことが書いてあるんだ」
「そう。さすがくわしいね」
 阿久津家の人は、長い歴史の中でずっとあやかしと人間の境界線を保ってきたんだね。
「兄さんももちろん、子どもの頃から結界士の才能はあった。でも、僕は何歳になっても、あやかしの気配を感じることすらできないまま……」
 楓くんは、いっそう表情を暗くした。ベンチのすぐ隣を、小さな子どもたちが歓声をあげながら走り抜けていく。
 しばらく口をつぐんでから、楓くんはふたたび口を開いた。
「間違いなく父と母の子であるはずなのに、僕は、なんの能力も得られなかった。白いお札を手にしても、力をこめることができなくて……せめて、役に立ちたいと思って、兄さんの代わりに情報を集めるようになったんだ」
 そう言って、楓くんは私を見つめた。
「でもあやかしの声が聞こえないっていうのはとても不便で。それで藍原さんに協力を求めた……ってわけ」
「そうだったんだね」
 あやかしの声が聞こえないと、体を乗っ取られやすいって言ってたね。楓くんひとりじゃとてもキケン。
「兄さんに対するコンプレックスがずっとずっとあった。兄さんはあの通り、結界士としての能力だけじゃなく、見た目もいいし、オーラもあるし」
 春の風が、私たちの間をすーっと抜けていった。
「僕はすべてにおいて負けてるから」
 楓くんは、なんてことない風に言葉にした。
 でも、すべてにおいて負けているなんて……気軽に口にできる言葉じゃない、よね。
 私は、楓くんの言葉に、なにも言えなかった。
 楓くん、そんなにも思いつめていたなんて……。
 私の絶望的な気持ちとはうらはらに、楓くんは笑顔を見せた。
「ごめん、けっこう暗いよね。でも、はじめて誰かに話せてすっきりした。ありがとう」
 私は、首を左右に振った。なんて言ったらいい? なんて言えば楓くんの心は軽くなる?
「楓くん……私は、楓くんがすべてにおいて負けてるとは思えない」
「いいよ、フォローしなくて」
 笑顔で言うけれど、本心じゃないって、私は思う。
 じゃなきゃ、私にこんなこと言わないよね?
「楓くんは、人の気持ちに寄り添えるすてきな男の子だよ。人の気持ちに寄り添うって、すごくむずかしいことだよ。相手の気持ちってよくわからないし、どう言ってあげたらよろこばれるかをたくさん考えなくちゃいけないし。それができる楓くんはすごいよ。それと、人とお話するのがじょうず。クラスの子だけじゃない。図書館の人とも、すぐに打ちとけられるなんて、誰にでもできることじゃない。それから……」
「わかった、わかった!」
 とめどなくあふれる私の言葉を、楓くんが止めた。
「まだ、言うことあるよ」
「もういい、はずかしいよ……」
 楓くんは、耳までまっかになっていた。そして、はずかしそうに黒い髪の毛をくしゃっと触る。
「ありがとう、藍原さん」
 私と目を合わせず、楓くんがつぶやく。私は、あえて明るい声で言った。
「自虐しちゃうのはだれにでもあるよ。でもそのときは、私がたくさんほめちゃうから覚悟してね!」
 私も、しょっちゅう自虐しちゃう。楓くんだって、自信が持てなくて自虐したくなるときくらいあるよね。
 だから……思いつめないでほしい。
「ありがとう。やっぱり藍原さんとしゃべっていると、元気になる」
「ほんと? うれしい!」
「うん。本をたくさん読んでいるからかな。言葉がぽんぽん出てくるね」
「それは、あるかも」
 よかった、本をたくさん読んでおいて!
 読書って語彙力が増えて自分の言いたい言葉を見つけやすくなるんだ。
 とはいえ、私は断れないって性格をしているから、自分の気持ちをじょうずに伝えられなかったんだけど……誉め言葉なら、いくらでも口にできちゃう!
 私たちがたのしくおしゃべりしていると。
 ――ずるい
 ふと、言葉が聞こえた。
 人がたくさんいるから、さっきからいろいろな人の声が耳に入ってくる。でも、それとは違うような……。
 私はあたりを見回す。空耳じゃ、ないよね。
「どうしたの、藍原さん」
「あ、えっと……不思議な声が聞こえてきて」
「それって、あやかし?」
 楓くんが、声をおとして聞く。
「わからない。けど、ずるい、って」
 もう一度、耳を澄ませてみる。
 ――どうしてみんな、幸せなの? どうして私は、幸せになれないの?
 また、聞こえた。女の子の声だ。空耳じゃない。
 遠いけど、でも耳に直接響くような声。
 聞こえただけで、なんだか体が震えてしまうような声。
「たぶん、あやかしの声。どうして私は幸せになれないの、って言ってる」
「……人間に対して、うらみを持っているあやかしだとしたら……キケンだ」
 楓くんは慌てた様子でリュックを開く。
「藍原さんはこれを」
 楓くんはリュックの中から首に赤いリボンが結ばれたくまのぬいぐるみを取り出した。どこかで見たことがある。どこだっけ?
「え、なにこれ」
「とりあえず、持ってて。これさえあれば、キケンなことはないから安心してね」
 あたりを見回すと、この声に気づいている人はいなかった。いつも通り、楽しそうな休日のワンシーンでしかない。
 大丈夫かな。すごく不安になって、くまのぬいぐるみをぎゅっとだきしめる。
 ――憎い憎い、みんな、泡となって消えればいいのに!
 また聞こえた。どんどん、大きな声となって私の耳に届く。全身に、鳥肌が立った。こっちに近づいているの?
 怖い!
 パニックになっていると、耳の中で大声を出されたようなボリュームで声が聞こえた。
 ――ねえ! そこのあなた! 私といっしょにこの海の泡にならない?
「!?」
 びっくりして、体が大きく震える。どこにいるの? あたりを見回すけど、だれもいない。海のほう?
 そのとき、となりにいた楓くんが立ち上がり、ぎこちない歩みで海と公園の間に建てられた柵に近づく。
「楓くん!? だめだよ、戻って!」
 ――泡となって消えてやりましょうよ
 楓くんは、どんどんと柵に近づいていく。まさか……乗っ取られたの?
『声が聞こえない人は、あやかしに体を乗っ取られやすい』
 さっき、聖くんの言葉を思いだしていたのに。
 私は唇をかみしめた。声が聞こえてすぐに楓くんに伝えて離れてもらえば、乗っ取られずにすんだかもしれないのに。そこまで頭がまわらなかった。
「だめ、戻って!」
 私は、楓くんのもとにかけより、必死で腕をつかんで海から離そうとする。でも、男の子の力は強くて、私じゃまったく動かなかった。ぬいぐるみがぽとんと地面に落ちたけど、拾っている場合じゃない!
 ――こわがらないで、水の底はうつくしいところだから。
 アンデルセン童話の、『人魚姫』の中に出てきたセリフだと気づいた。人魚はそうやって、人間を海の底に呼ぶ。連れていかれた人間は、当然死んでしまう。
 『人魚姫』の物語では、人魚姫は最後、泡となって消えてしまう。自分が助けた王子様に近づきたいがために足を得た人魚姫だけど、王子様はほかの女性と結婚してしまったから。
 一度人間になってしまった人魚姫は海の世界に戻ることは許されず、泡となって消えるしかできなくて……そんな、悲しい童話なの。
 童話の登場人物の人魚姫としてのあやかしだとしたら……楓くんが、海の底に連れていかれちゃう!
 必死で楓くんの腕をひっぱる。でも動いてくれない。だめだ、私ひとりじゃ助けられない!
「助けて、聖くん! こんなときに、どこにいるの!」
 力の限り、叫ぶ。すると。
「ずっと仁愛のそばにいるぞ」
 ……え?
 その瞬間、私と楓くんをやわらかな光が包んだ。夕焼けみたいな、あったかいオレンジ色。
 そして、地面に落ちたはずのぬいぐるみが、柵の上に立っていた。
 茶色いもふもふの毛並みが、風になびいている。
「またあやかし!?」
 もしかして、ぬいぐるみにもとりついた?
「違う。説明はあとだ。海から離れろ楓」
 ぬいぐるみは、ぱっと小さくて丸っこい手を広げた。これ以上進ませないぞ、と言わんばかりに。
 その瞬間、楓くんは立ち止まり、そして地面に倒れこんだ。
「楓くん!?」
「安心しろ、ちょっと眠ってもらったまでだ」
 えっへん、とくまのぬいぐるみが言う。
 楓くんを呼び捨てにする、この偉そうな口調のぬいぐるみは……。
「まさか聖くん?」
 口調はナマイキだけど、ちいさな体で一生懸命やっているように見えて、すっごくかわいい!
 ぬいぐるみは、こくんとうなずいた。
「仁愛お待ちかねの聖くんだ」
「これってどういう……」
 あたりを見回すと、私たち以外の人々はさっきとかわらない様子で楽しんでいた。あれ、この状況が見えてないのかな?
「結界を張ったから、俺たちの様子は見えてない」
 どうやら、オレンジ色の光が私たちを守ってくれているみたい。
 それを聞いて、安心した。さすが、聖くん!
 ――邪魔、しないで!
 聖くんを自称するかわいいくまのぬいぐるみとしゃべっていると、耳をふさぎたくなるほどの大きな声が耳に届く。
 ぬいぐるみの聖くんは、ぴょんと柵の上から飛びあがる。
「君の幸せは、君の手でつかめ!」
 首にまかれた赤いリボンのスキマから白い札を取り出すと、それを海に投げ入れた。流れ星のように光りながら海面に突き刺さると、海の水面はいっしゅんピンと張り、ぱっと光る。そして、元通りおだやかな光をきらめかせた。
 河童くんのときと同じだ。
 ぬいぐるみの聖くんも、柵の上にしゅたっと着地した。
 ――私の幸せは、自分で……? きれいごと言わないで!
 人魚姫にとりついたあやかしの声が聞こえた。
 私は、柵にかけよる。
「あなたの幸せ、きっとまた見つかる。大丈夫だよ!」
 うわべだけの、はげましな気もする……。だけど、私はきっと大丈夫だって思う。だって、世の中にはたくさんの幸せの形があるから、いつか自分に合うものが見つかる。
「きれいごとかもしれないけど……そう信じないと何もできないよ」
 ――ほんとうに?
 納得していないような声が続く。結界のおかげか、声がどんどんと遠くなっていく。
「幸せになりたいって思ってがんばっていれば、きっと自分なりの幸せは見つかるよ。私は応援する!」
 しばらくの沈黙のあと、私の耳には、さっきよりもやさしい声が届いた。
 ――ありがとう、私とおしゃべりしてくれて……またおしゃべりしてくれる?
「私でよ……いたっ!」
 私でよければ、いつでも……と言おうとしたら、くまのぬいぐるみの手でぽこんと頭を叩かれた。
「なにするの、聖くん!」
「断れ。あやかしの誘いは秒で断れ!」
 小さくて短い腕を組もうとしているけど、組めていない。
「あやかしの誘いを断って嫌われたところで、問題ないだろ」
「だ、だってさみしそうで……」
 私の言葉に、聖くんははぁー、とわざとらしくため息をついた。いや、ぬいぐるみだからよくわからないけど。
 嫌われる、とかじゃなくて……せっかく私に声が届いたのだから、なんとかしてあげたいって思うのは当然じゃないかな。
 私はめいっぱい柵に近づき、海の方に手を振った。
「元気でね~」
 人魚姫の声はもう、聞こえなかった。結界の効果かな。
 これを機に、新しい幸せを見つけにいっていたらいいな。
 私の様子を見て、聖くんはカッと顔をあげた。ぬいぐるみだけど、心なしか怒っているように見える。
「元気でね~、じゃない! あれは河童と違って、ほんとうに泡にして海の底に引きずりこむつもりだったぞ!」
「そ、そうなの?」
 すっごく怒られた。怖かったけど、なんだかほうっておけなかったんだもん。
「ほうっておけないからっていちいち相手をしていたら、仁愛が大変になるんだぞ?」
「それはそうなんだけど……」
 頼まれて、断れなくて、あれこれやることが増えて大変な思いをしているって、実感はしている。あとから後悔するってわかってる。でも、困っている人をほうってはおけないよ。
 よくないんだろうけど、すぐには直せそうにない。
「人魚姫の心配より、楓を起こして、さっさと家に帰ってこい。結界をとくぞ」
 私たちをつつんでいたあたたかなオレンジ色の光が消える。
 結界は消え、柵の上でおすわりした動かないぬいぐるみが残る。そっか、ぬいぐるみが動いたらあやしいもんね。でも、ぬいぐるみが欄干の上に座っているのも、だいぶおかしいけど……。
 私は、ぬいぐるみの聖くんを手に取る。ふわふわであったかいぬいぐるみを、ぎゅっと抱きしめた。
「おい仁愛……」
 聖くんが、かすかに動く。
「あ、ごめん。かわいくって。それに……聖くんが助けてくれて、安心したっていうのもある」
 すごく、こわかった。でも、聖くんが来てくれた。こんなにも、安心するんだね。
 て、言っている場合じゃない。
「楓くん、起きて。朝ですよー」
 結界はとけているから、地面に横たわる楓くんをちらちら見ている人もいる。早く起こさないと!
 楓くんは、ゆっくりと目を開いた。
「う、ううん……」
「よかった。無事で」
 楓くんが、人魚姫のあやかしに誘われたとき、こわかった。ほんとうに泡になってしまうんじゃないかって……。
 むくりと上体を起こした楓くんが、じっと私の顔を見て、顔をそらした。
「僕が、あやかしにのっとられるだなんて」
 くやしそうに、楓くんはうつむく。
 さっき、自分が聖くんのように役にたたないって嘆いていたばかりなのに……また、っていう気持ちはあるのかもしれない。
「帰ろう、楓くん」
 それ以上のことは、なにも言えなかった。
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