義弟の甘い罠は壊れるほど狂おしく【長編版】
 気づいたら俺は、血のついたナイフを握っていた。
 手がこわばって動かない。
 ただ、目の前で姉さんが、倒れた。
 それは一瞬の出来事だったはずなのに、ゆっくりと、ゆっくりと。
 遅れて誰かが俺の手首を強く叩いて、ナイフが手から離れる。
 金属音が、床に響いた。
 
 ……結局、俺が一番壊した。

 

 御影と茉莉乃はすぐに逮捕され、俺も警察に行かなくてはならなかったけど、なんとか頼み込んで病院に先に行かせてもらった。
 処置室の前で待たされている間も、看護師たちが忙しなく行き来していた。
 姉さんは出血がひどくて、輸血が必要になった。

「AB型の血が足りません! ご家族に、AB型の方はいらっしゃいませんか!?」

 看護師にそう言われて、俺と父さん、軽井沢さんも顔を見合わせた。
 
 『ご家族の方』

 俺たちはみんな、血の繋がりなんてない。
 そんなので、『家族』なんて、言ってしまっていいのだろうか。
 だけど── その言葉にすがるように、立ち上がっていた。
 
「俺、AB型です」
 
 震える声で、名乗り出た。

 採血を終え、俺は病院のベッドに横になっていた。
 腕には点滴の管が繋がれ、なんの成分かわからない透明な液体が、ゆっくりと落ちていく。
 
「父さん、軽井沢さん」
 
 二人が、こちらを見る。

「姉さんには……黙っててくれないかな」
「なんでだ。菜月も、きっと喜ぶだろう」
「……だめだよ」

 喉の奥が、ひどく痛んだ。
 
「自分が刺しておいて、輸血なんて……。姉さんきっと、受け止めきれないよ……」

 じわりと瞳が潤む。慌てて天井を見るけど、涙は止まらなかった。
 
「だが……」
「龍樹」
 
 軽井沢さんが止めてくれた。
 
「輸血の血液提供者は、通常匿名だ。あえて言う必要もない。医者には、俺から話しておこう」
「……すまん、俊」
「ありがと……」
 
 俺は、病室の白い天井を見つめて、目を閉じた。
 そのうち、張り詰めていたものが少しずつほどけて──気づけば、丸一日眠っていた。

 翌日、ベッドの上でスマホが震えた。
 ニュースの通知が見えて、そのままにした。
 しばらくしてから、事務所の名前を選び、短い文章を打つ。
 
『しばらく、表に出る仕事を休ませてください』

 送信して、電源を落とす。
 それで、終わりだった。

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