義弟の甘い罠は壊れるほど狂おしく【長編版】
4・外せない結婚指輪
御影法律事務所──宝堂グループのビル内にある、落ち着いた雰囲気の法律事務所。所長の御影先生をはじめ、数名の弁護士が在籍し、宝堂グループの顧問事務所となっている。中でも彰人さんは、宝堂グループの企業内弁護士として働いていた。
四十九日が過ぎた今も、私はまだ、彰人さんの面影を追いかけてしまう。
ここを辞めようか悩んだこともある。でも私は、彰人さんが遺した日記にあった、あの違和感の正体を突き止めるまでは、逃げないと決めたのだ。
だけど、私一人の力では限界がある。
誰かに相談できたらいいのに……そんな思いが、胸をよぎる。
「おはようございます」
事務所の扉を開けると、二人の声が返ってきた。
「おはようございます、菜月さん」
「菜月ちゃん、おはよう」
声の主は、同じ事務所で働く保科湊也さんと三浦真子さん。
保科さんは、彰人さんの先輩にあたるベテラン弁護士だ。朗らかで、誰にでも分け隔てなく優しい。今は、彰人さんが生前に請け負っていた案件を、他の弁護士たちと手分けして処理していて、とても忙しくしている。
真子さんは、保科さんの助手を務めるパラリーガル。
パラリーガルとは、法律に関する専門知識を持ち、弁護士の指示のもとで調査や資料作成を行う、いわば〝縁の下の力持ち〟のような存在だ。彼女の丁寧で的確な仕事ぶりは、事務所でも一目置かれている。
このふたりなら……何か話せるかもしれない。
そう思っていると、真子さんの方から話しかけてきた。
「あれ? 菜月ちゃん。そのストラップかわいい。どうしたの?」
私のバッグの持ち手に揺れているのを見つめて言った。
「あ、今朝、律にもらって──」
「えっ!? リッくんに!?」
真子さんは、大げさなほどガタッと椅子を揺らす。
「お守り代わりに作ってくれたみたいで。ほんと、心配しすぎですよね」
苦笑しながら言うと、真子さんはさらに身を乗り出した。
「しかも手作り!?」
真子さんの勢いに、私は思わず一歩引く。
「菜月ちゃん! それ、いくらで譲ってくれる!?」
「ええっ!?」
そんな私たちの様子を見て、保科さんがくすくすと笑う。
「真子さん、朝から全開だね」
真子さんは「だってぇ!」と地団駄を踏んだ。
「リッくんの手作りですよ!? むしろタダで持ってる方が罪です!」
『リッくん』とは、律のことだ。
真子さんは律の大ファンで、彼が配信する動画も欠かさずチェックしているほど。
彼女の姿を見て、改めて「推し」という言葉の威力を思い知る。
そんな空気を切るように、保科さんがパン、と手を叩いた。
「……ところで。二人とも、そろそろみんなで飲みに行きませんか?」
「あ……いいですね!」
正直、そんな気分にはなれなかったけれど、彰人さんが亡くなって以来みんなで集まる事も自粛していた。気を遣って提案してくれたのだろう。
真子さんへ視線を送るが、彼女は少しバツが悪そうに頭をかいた。
「あ、あぁ〜……私、今日はいいや。二人で行ってきて」
「え、でも……」
みんなで一緒の方が楽しいと思ったのだけれど、真子さんは小さく笑って首を横に振る。
「ごめん、用事があるのよ」
「用事って……」
「やだ、訊かないでよ! リッくんのライブ放送に決まってるじゃない!」
そういえば、今朝本人も「配信やるから」って言っていたことを思い出す。
どうやら今夜、真子さんにとっては私たちと出かけるよりも、画面の向こうの律の方が何倍も大切らしい。
保科さんと二人きりなのは気まずいけれど、律が関わっているかもしれない日記のことを相談するなら、保科さんだけの方がいいかもしれない、と思い始めた。