義弟の甘い罠は壊れるほど狂おしく【長編版】
* 

 仕事が終わって向かったのは、事務所近くの落ち着いたレストランだった。
 白いテーブルクロスに、控えめな灯り。周囲の席からは静かな笑い声が聞こえてくる。

「なにか、飲みますか?」

 メニューを差し出す保科さんに、私は小さく手を振る。

「私、お酒はあまり……」
「少しだけ、付き合ってくれませんか?」

 優しい声でお願いされ、私はちょっと迷って承諾した。

「じゃあ、少しだけ」

 運ばれてきたグラスに口をつけると、甘さの奥にわずかな苦味を感じた。
 じんわりと喉を通って、すぐに頬が熱くなる。
 食事を終えて談笑していると、保科さんの目線がテーブルの上に落ちた。

「……まだ、されてるんですね」
「え?」
「結婚指輪」

 言われて、左手を見る。私の薬指には、今も彰人さんと交換した指輪がある。

「あ……ああ。そうですね。おかしい……でしょうか? 亡くなった夫をずっと想い続けているなんて」

 気を遣わせないように、軽い感じで言ったつもりだったけれど、声が少し震えてしまった気がする。

「そんなことは……」

 保科さんが言いかけた言葉を、私は予想していた。
 誰かに、そう言ってほしかっただけなのかもしれない。

 テーブルの上で、保科さんの手が私の左手に、そっと重なる。
 驚いて、わずかに目を見開いた。

「あなたはもう、自由になってもいいんじゃないでしょうか?」

 胸が痛くなった。寂しさと、悲しさと、ほんの少しの怒りが湧く。
 混ざり合った感情が波のように押し寄せて、私は咄嗟に手を引いた。

「……保科さんも、お父様と同じことを言うんですね」
「龍樹さんと……?」

 指輪をしている左手を、右手で包み込むようにして、ぎゅっと握る。

「これは、私が自由に決めた道なんです。ずっと彰人さんの妻でいると。それじゃ、ダメなんでしょうか……?」

 声が震えた。涙がにじむのを止められなかった。
 保科さんは、座ったまま深く頭を下げた。

「すみません……軽率でした」

 謝られて、私はただ、黙って首を横に振るしかなかった。

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