義弟の甘い罠は壊れるほど狂おしく【長編版】


 
 通信会社の担当窓口に到着した頃には、もう日が暮れる前だった。
 警察官である出口さんが同行してくれたおかげで、その場で照会データを見せてもらえることになった。本来なら、数日かかるものらしい。
 担当の職員が、照会記録の用紙をカウンターに置く。
 
「解約済みの端末ですので、端末本体にはもうデータは残っていません。こちらで確認できるのは、回線の利用記録だけになります」
 
 印刷されているのは、発信・着信時間、通話相手の番号、通話時間だ。

「……顧客の番号かしら」

 私が言うと、律が身を乗り出す。
 
「契約者名は?」
 
 担当者は、少し眉を寄せてもう一枚の用紙に手を添える。
 
「こちらです」
 
 手元を見ると、聞いたこともない企業名。
 しかし、軽井沢さんがスマホで素早く検索したかと思うと、息を吐いた。
 
「貸し住所だ。実体のない法人。詐欺グループや……最悪、誰かが仕組んだ可能性がある」
「……っ」
 
 背中の中心が、氷で撫でられたように冷えた。
 担当者は、淡々と続ける。
 
「個人名は、こちらでは把握できません。事件性があると警察が判断した場合、照会により開示される可能性はありますが……時間はどうしても、かかります」
 
 また時間。
 時間なんて、もう十分すぎるほど経ったのに。
 軽井沢さんが出口さんに視線を向けると、彼はやれやれといった感じで片手を上げる。
 
「悪いが、これ以上は俺も暇じゃないんでね。正規の手続きを踏んでほしい。それに、架空の企業名をでっち上げるくらいだ。個人名だって本当に通話相手のものかどうか……」
 
 私は息を整え、紙面に戻る。
 
「……通話内容は、わからないんですよね」
「はい。ただ……」
 
 担当者が紙面を指先でなぞる。

「通話終了直後に、データ送信が発生しています。小さくありません」
 
 表示された数値は「送信5.8MB(メガバイト)」。
 それを見た律が、目を瞬く。
 
「これ、もしかして……」
「録音アプリ、かもしれないな」
 
 後ろで出口さんが言った。

「録音アプリ?」

 振り返って訊ねると、出口さんが説明してくれた。
 
「通話を自動で録音して、クラウドに送るタイプのものがある。端末は初期化済みでも、データは向こうに残っている可能性があるな」
「でも、それを聞くには……」
「警察の手続きがいる。しかも、時間がかかる」

 出口さんは肩をすくめて、私たちの期待を制するように首を横に振った。
 
「それに、ああいうアプリって暗号化されてることもあるから、それだと解読に時間を取られるよ。最悪、解読できないってことも」

 続けて律が補足してくれた。解読できないのなら、申請する意味もなくなってしまう。
 焦りが、じわじわと広がっていく。
 ここまで来たのに、また立ち止まってしまうのか。
 
「じゃあ、どうすれば」
「いちばんいいのは、兄さんがなんのアプリを使っていたか、わかることかな」

 同じアプリをこちらで用意して、彰人さんのアカウントでログインできれば、録音データへ直接アクセスできる。申請や解読を待つよりも、はるかに現実的だ。
 あの日、彰人さんは確かに仕事用スマホで誰かと話していた。
 そのデータが、残っているかもしれない……。
 
「少し……考えます……」

 もう終業前だ、これ以上居座れば迷惑になってしまう。
 私たちは、担当職員にお礼を言ってその場を後にした。
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