義弟の甘い罠は壊れるほど狂おしく【長編版】
「それは──わからない」
「わからない?」
「茉莉乃さん……結婚、してないんだよね。律くんは婚外子になる。菜月ちゃんも知ってると思うけれど、婚外子の場合……」
「父親が認知していなければ、戸籍に名前が載らない……」

 自然と言葉をついていた。法律事務所で働いているうちに、何度も遭遇した事案だ。
 軽井沢さんが、「その通り」と真剣な顔でうなずく。
 律自身は、どこまで知っているのだろう?
 自分が宝堂家の血筋ではないこと。父親が別にいること。
 そして、本当の父親の名前すら空白であるという事実を。
 もし知らないのなら、いつか知る日が来るのだろうか。
 知っているのなら……律は、その苦しみを胸のどこにしまい込んで生きてきたのだろう。

「……それと、これも言っておかなければならないが」
 
 少しためらってから、養父は続けた。
 
「私も、律を認知しているわけじゃない。宝堂姓を名乗らせているが、法律上は〝宝堂家の子〟ではないんだ」
「え……」
 
 まさかの事実に、息が詰まる。
 たとえ再婚相手の子であっても、認知という手続きがなされなければ、法の上では親子とは扱われない。戸籍に名前を連ねても、同じ屋根の下に暮らしていても、それだけでは家族の証明にならない——そんな仕組みが、この国にはある。
 
「だから後継の話になると、どうしても不都合が出る。律が悪いわけじゃない。全部、大人の事情だ」
 
 胸の奥がひりついた。
 律の名字は宝堂でも──血縁でも、法律でも繋がっていない。
 何故、と聞きたかった。事情があったことは理解している。
 それでも胸のどこかが落ち着かなかった。
 その問いを形にする前に、養父の声が続いた。
 
「だが、宝堂の血じゃなくても……私たちは、あいつを家族にすると決めた」
 
 その一言が、胸のざわつきを緩やかに塗り替えていった。
 どんな事情より、血でも戸籍でもなく、ずっと家族として愛されてきたという事実の方が——今の自分には、はるかに大きかった。
 気づけば、「何故」の問いはすっと喉の奥で消えていた。
 
「ただ、法律上の扱いは……定まっていない」

 その言葉が、律という存在をどこか心細く揺らすようだった。
 
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