義弟の甘い罠は壊れるほど狂おしく【長編版】

19・初めての怒り

 養父は、御影先生からの電話に出たまま、戻ってこなかった。
 玄関に靴がないところを見ると、そのまま外へ出たのだろう。
 律が危険かもしれないというのに──それでも離れなければならないほど、差し迫った用件だったのか。
 考えても答えは出ないまま、私たちは車に乗り込んだ。
 天気予報は、こんな時に限って外れない。
 雨に濡れた路面を滑るように、高速道路へ入った。
 フロントガラスを往復するワイパーが、規則正しい動きで水滴を弾いていく。

「菜月ちゃん……さっき、言おうとしてたんだけどね」

 そういえば、軽井沢さんがやけにそわそわしていたのを思い出す。
 
「……なんでしょう?」
「こうなったら、もう君自身も危険だと思った方がいい」

 先ほどよりも一段と落ち着いた声で、軽井沢さんは言った。
 
「私が……宝堂の人間だから、ですか?」
「そうだ」

 運転席の軽井沢さんが、前を見たまま力強くうなずく。
 
「これからいろんな人が、菜月ちゃんに近づいてくると思う。だから……」

 言葉を切った軽井沢さんは、大きく深呼吸する。
 ハンドルを握る指先に、わずかな力がこもるのがわかった。
 
「俺は今から、親友を裏切る」

 裏切る──その言葉の意味を考える余裕なんて、なかった。
 
「菜月ちゃんにとって大事なことを話す。君の……両親のことだ」

 心臓が大きく跳ねる。
 本当は、今じゃなくてもいいはずだった。律のことで頭も心もいっぱいで、これ以上何かを抱え込める余裕なんてない。それでも、逃げ場を探す前に耳が自然と次の言葉を求めてしまう。
 軽井沢さんの横顔には、いつもの冗談も軽口も一切見えない。「今を逃せば取り返しがつかない」とでも言いたげな、張りつめた表情だった。
 彰人さんのこと、律のこと、私自身のこと──問題が、容赦なく膨れ上がっていく。
 雨足が強まり、車体を打つ音が大きくなる。軽井沢さんが話してくれた両親の話は、雨の音と混じり合いながら、しっかりと私の耳に届いた。
 
 
 
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