義弟の甘い罠は壊れるほど狂おしく【長編版】
 それが律の声だと気づくまで、数秒かかった。
 
「……律?」
 
 振り返ると、律の手には何かが握られていた。
 
「こんなやつ……っ、最初から……!」
 
 律の視線は、御影先生とその背後で血の気を失っている田口茉莉乃に向けられていた。
 光が反射して、それがナイフだとわかったとき──私は反射的に飛び込んでいた。
 
「律……っ!!」
 
 考えるより先に。
 ただ、律を止めたくて。
 勢いで律の前に飛び出した瞬間、熱いものが、腹から吹き出した。
 
「あ……」
 
 痛みよりも、息ができない。
 律が目の前で固まって、顔色が真っ白になっていく。
 
「……ぁ……ねぇ……さ……」

 律の指先が震えている。
 ナイフが床に落ちる音が、やけに遠く聞こえた。

「律!」
「律くん!」

 律は軽井沢さんに押さえられた。
  
「ちが……う……俺は……俺は、姉さんを守るために……!」
「なつきっ!!」
 
 誰かが叫んだ。
 誰が叫んだのか分からない。
 体が崩れ落ちる。
 抱きとめられた腕の温度で、私はまだ生きているんだと知る。

「救急車!! 早く!!」
「菜月! 菜月、しっかりしろ!」
 
 視界が、霞む。
 律の泣き声が聞こえる。
 
「やだ……やだ……姉さん……いなくならないで……っ」
 
 その声が、子供みたいで。
 あの頃と同じで。
 だから、笑いたかった。
 
(り、つ──)

 ──私はまだ終われない。
 ここで私が死んでしまったら、あなたを闇に押し込めてしまう。
 そんな未来は、絶対に許さない。
 声にできないまま、意識だけが薄れていった。
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