義弟の甘い罠は壊れるほど狂おしく【長編版】
 あれから二週間。私は傷の癒えないまま退院した。
 御影法律事務所は、御影先生の逮捕により閉鎖された。
 御影派だった先生方は散り散りになり、軽井沢派だった先生方も軽井沢さんについていく人や、他の事務所に移籍する人など、様々だった。

 つい昨日まで一つ屋根の下で働いていた人たちが、まるで潮が引くように姿を消していく。
 その光景は、どこか胸にぽっかりと空洞を残した。
 そんな中で、私と軽井沢さん、保科さん、そして真子さんは──。
 
「えー、では。菜月ちゃんの退院を祝って」
「かんぱーい!」
 
 がらんとした御影法律事務所で、私の退院祝いをしてくれていた。
 軽井沢さんが音頭を取り、グラスが触れ合って乾いた音が響く。
 ここに残った先生方も、私の無事を祝ってくれた。
 みんなの笑顔を見てようやく、生きて戻ってきたという実感が湧いてくる。

「……そういえば、リッくん。最近、配信で見かけないよね……」

 真子さんが、何気ない調子でそう言った。
 私は、無言でグラスに視線を落とす。
 律がいない理由を、ここで話すつもりはなかった。
 
「えー、残念ながら御影先生がいなくなったので、この事務所は引き払おうと思う。この人数では広すぎるしな」

 軽井沢さんの言葉に、室内が一瞬静まり返った。
 
「じゃあ、ついに軽井沢先生、独立ですか? 〝軽井沢法律事務所〟に?」
 
 真子さんが、からかうように両手の人差し指で軽井沢さんを差す。
 
「……いや」
 
 軽井沢さんは、目を伏せて少しだけグラスを揺らした。
 
「知っての通り、俺は宝堂グループの海外案件で事務所を空けることが多い。所長には向いてない。だから……」
 
 そう言って、隣に立つ彼の肩をぽん、と叩いた。
 
「保科先生。後はよろしく頼んだ」
「……へ?」
 
 保科さんは、オードブルを口に運んだまま固まった。
 口元が、徐々に開いていく。
 
「え、ええええええっ!? 僕が、ですか!?」
「いよっ! 保科所長!」
 
 周囲の先生方までが囃し立て、瞬く間に拍手が広がる。
 保科さんはまだ状況が飲み込めていないようだったけど、それでも照れたように頬を染めた。
 こうして、御影法律事務所は幕を閉じ──
 私たちの新しい拠点、〝保科法律事務所〟として生まれ変わったのだった。

 
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