義弟の甘い罠は壊れるほど狂おしく【長編版】
「律さんは相変わらずですねえ」

 ダイニングに降りると、家政婦の内村さんが目尻を下げて笑う。もう二十年以上も宝堂家に仕えている内村さんは、私や律にとっては母親のような存在だ。
 そう、そうだった。律は昔からこういったイタズラが大好きだった。彰人さんの布団に潜り込んだり、内村さんのエプロンのポケットにカエルのおもちゃを忍び込ませたり、お父様の部屋のアラームをこっそりと大音量にしたり……。思い出したら、軽く頭痛がしてきた。
 私と彰人さんが結婚して家を出てからは、落ち着いたと聞いていたのに。
 ここは義姉(あね)として、ビシッと言っておかないと──!

「あのね、律──」
「……ごめんね、姉さん」
 
 しゅんとした顔で、叱るより先に謝られてしまった。喉まで出かかっていた言葉が、一瞬にして奥に引っ込む。私は、律のこの顔に弱い。しかもちゃんと謝っているものだから、いつも許してしまう。他の人だってそうだ、なんだかんだ言っても、律に絆されて許してしまう。
 諦めてため息をつきながら、席についた。食卓には、すでに朝食が並べられている。
 パンとベーコンの香ばしい匂いが、食欲を起こす。
 
「お父様は?」

 話題を変えるように訊くと、内村さんはコーヒーを手にしながら答えた。

「旦那様は、もう会社に向かわれましたよ。今朝も五時半には起きておられて」

 養父は昔から仕事熱心な人だったけれど、彰人さんが亡くなってからは、さらに拍車がかかっている。後継者がいなくなったことが原因なのか、あれ以来、養父の姿を家で見る時間が本当に減った。
 
「父さんも相変わらず、仕事の鬼だよね……」

 律は、先ほどのことなんてなんでもなかったように、黙々と朝食を食べている。
 気まずく思ってるのは私だけ? あれは律のイタズラなんだから、気にしないようにしないと。
 
 向かいに座った律の皿を見て、思わず目を瞬く。

「律、それだけ?」

 律の前にはチキンたっぷりのグリーンサラダと、小さめのロールパンが一つだけだ。

「うん、今度CMオーディションがあるから、絞りたくて」

 サラダにノンオイルのドレッシングをかけながら、律はあっさりと答えた。
 今のままでも充分なのに、ずっと体型にも気を配らなければならないなんて、モデルも大変だ。
 私はというと、パンとサラダにベーコンエッグ、シリアルの入ったヨーグルト。
 ……せめて、コーヒーに砂糖は入れないでおこう。

「大変なんだね、モデルって」

 そう呟くと、律はパンをちぎりながら、どこか照れたように笑った。

「ま、テレビCMはまだ出たことないしね。セリフ、下手だから」
「そうなの?」
「うん。なんか、棒読みになるって言われる」

 そう言って苦笑する律を見て、意外と抜けてるところもあるのだな、と心の中で笑ってしまう。朝食を終えると、律はさっさとナプキンで口元を拭いて立ち上がった。

「あ、そうだ。今日は夜に部屋で配信やるから、姉さんも静かにしててね」
「わかったわ」

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