愛人を作ってもいいと言ったその口で夫は私に愛を乞う

第44話

〈レニー視点〉


僕は力が抜け、執務室の椅子にドカリと座り込んだ。

ノックの音が響くが、返事をするのも億劫だ。

「旦那様、旦那様!」

少し焦ったような執事の声が聞こえるが、僕は無視をしていた。

『愛人を作ってもいいと言ったのは貴方の方です』
デボラにそう言われて、頭を殴られたような衝撃を受けた。
そんなこと言ってない!そう口から出そうになったが、自分の脳裏にその言葉を勢いだけで口にした自分の姿が蘇って黙るしかなかった。


後悔してももう遅い。僕は頭を抱えた。

すると僕の許可もないのに、執事が執務室の扉を開けた。

「旦那様、大丈夫ですか?」

頭を抱えた僕を心配したのだろうが、僕はこの執事の態度にイライラした。

「部屋へ入る許可をしてない」

僕の低い声に一瞬『しまった!』という表情を浮かべた執事。正直、僕はこの執事が少し苦手だった。ちょくちょくデボラのことで苦言を呈することがあるのだが、いつも『ハルコン侯爵家では……』と実家の名前を出すのが気に入らなかった。僕はもうハルコン家の人間じゃない。

「し、しかし顔色が……」
「うるさい!少し放っておいてくれ!」

そう言う僕に執事はキュッと唇を噛んだ。

「……お薬が必要な場合はお声がけください」
そう言って執事は退出する。

薬か……馬鹿につける薬はあるのかな。もちろん、馬鹿は僕だ。

感情がぐちゃぐちゃになって、僕は綺麗に整えた髪を掻きむしった。
こんなことをしても、僕の発言を取り消すことは出来ない。

僕はトラウザーズのポケットにねじ込んでくしゃくしゃになった手紙を取り出した。

そこにはアリシアの字で『デボラさんの相手の名前はレオ。もしかすると男娼かもしれないわ』
と走り書きされていた。
アリシアから話を聞きたいと思っていたが、この手紙に書かれた内容の衝撃で、カッとなってしまった。

『男娼』── デボラが他の男に抱かれているかもしれないと思うと、胃がムカムカして、吐きそうだ。考えたくない。僕はその手紙をゴミ箱に放り投げた。手紙はゴミ箱の縁に当たり、床へ転がる。それを入れ直すことも億劫で、僕は背もたれに大きくもたれて、顔を天井へと向けた。

目尻から涙が一筋溢れ、僕の耳を濡らす。情けない……こんなことで涙を流すなんて。

今まで、騎士をしていて何度も怪我をしたが、どんなに酷い怪我でも涙なんて流したことはなかった。……アリシアが結婚した時でさえ。

今、僕が涙を流しているのは、自分の馬鹿さ加減に呆れているから……だけではない。
僕は、いつの間にかデボラに好意を持っていた。いや……これは好意なんかじゃない。僕はデボラを好きなんだ。

僕は今までデボラにしてきた愚行を思い返し、胸が潰れそうな思いに涙を流した。ここからどうやってデボラとの関係を再構築すれば良いのか分からない。

女性を喜ばせる方法を知らない。アリシアは僕のやる事全てを喜んでくれた。だが、デボラは?

「彼女が何を好きで、何を喜ぶのか……僕は知らない」

結婚してもう半年が経つ。なのに僕はデボラのことを何も知らなかった。いや……知ろうとしていなかったのだ。



「うわっ!!旦那様!その顔……どうしちゃったんです?」

何度ノックしても答えない僕に痺れを切らした家令は、執務室に入り狼狽えた。

僕は虚ろな瞳で家令を見る。執事に何を聞いたのかは知らんが、僕の顔は家令が怯える程酷いらしい。

僕は一晩中椅子に腰掛けたまま、過ごしていたようだ。当然寝ていない。デボラが他の男と……と考える度に胃の中身が逆流してきそうになる……ワイン一杯しか飲んでいない僕には吐き出す物も何もないのだが。

どうしたのか訊かれても、何も答える気にならない。
何も言わない僕に、家令は話を続けた。

「寝室に起こしに行ったメイドが心配してましたよ。今日はお仕事ですよね?」

「ああ」

「ならば、シャキッとして下さいよ。奥様は既に朝食も終えて、バザーの準備に勤しんでましたよ」

『奥様』と聞いて身体がピクリと揺れた。デボラ……僕に呆れ果てていることだろう。
家令は僕の僅かな反応も見逃さなかった。

「……奥様と何があったんです?喧嘩でもしましたか?」

そう言いながら、家令は何かを床から拾った。

「別に……。喧嘩か……喧嘩の方がましかもな」

僕は椅子に腰掛けたまま、(クウ)を見つめる。その様子に家令はため息をつきながら言った。

「許しを乞うなら謝るしかありませんよ。話はそれからです」

家令は僕が悪いと決めつけているようだ。……正解だが。

「取り返しのつかないことをした」

「それでも謝るんです。とにもかくにも謝りましょう。プライドも全てかなぐり捨てて、土下座しましょう」

土下座なんてしたことない。出来るか?僕に。

「謝罪を受け入れてくれるかわからん」

「大丈夫ですよ。奥様はちゃんと話を聞いて下さる方です」

家令は僕よりデボラのことを知っているかのように得意顔で頷いた。……気に入らない。

「お前は、何だかんだデボラの肩を持つな。何故だ?」

「奥様の考えに共感しているからです。奥様は一番にブラシェール伯爵家のことを考えて下さっています。今回のバザーだってそうです。少しでも多くの方々にブラシェール伯爵領を知ってもらう為に尽力して下さっています」

「バザー……そんなことを言っていたな」

「奥様は旦那様が心置きなく近衛としてのお仕事に邁進出来るようにと、それ以外のことは全て引き受けておいでです」

そう言って家令は僕に一枚の紙を差し出した。

「バザー、良かったら旦那様も顔を出してみませんか?」

それは教会のバザーの案内だった。日付は三日後だ。

「僕が行って……デボラは迷惑じゃないだろうか?」

「奥様は『猫の手も借りたい』と仰っていましたよ」

僕なんかが、猫の手になり得るのだろうか?
しかし、家令と話したことで少しだけ僕は気持ちが前向きになって、やっと椅子から立ち上がった。
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