愛人を作ってもいいと言ったその口で夫は私に愛を乞う

第45話

「あっふ」

私は欠伸を噛み殺す。昨晩、よく眠れなかったせいだ。
身体は疲れているのに、頭がカッカして冴えて眠れなかった。誰のせいか……もちろんレニー様だ。いや……それよりアリシア様か。

あれから彼女の狙いが何なのか考えてみた。彼女があの社交クラブに私を招待したのは何故だろう……と。単純に考えれば私の弱みを握りたいからという理由が一番しっくりくるが、彼女にも相手がいた。浮気をしているのはアリシア様も同じ。私がこれをクラッド様にチクれば、アリシア様とてピンチに陥るはずだ。
とまぁ、ここであの誓約書が効いてくるわけだ。私はあれにサインをしたから、アリシア様の事を公に出来ない。だが、やはりそれもアリシア様とて同じ。……レニー様にレオの事をチクって、彼女に何のメリットがあるのか。

ウンウンと考えていたら、朝になっていた。
寝不足の頭を振って、私は小さなカードにひたすら文字を書く。これはバザーで出すジャムに付けるカードだ。何の果物を使っているのかと、産地を書いてジャムの瓶に一つ一つ紐を付けて結ぶ。この単純作業が私の眠気を誘う。
たまに文字がヘニャヘニャと歪んでは捨てるを繰り返していた。

眠気と戦う私の耳にノックの音が聞こえる。

「はい」

顔を出したのは家令だった。

「ハロルドが到着しました」

私は椅子から立ち上がる。

「早かったわね」

すると家令はスッと部屋の中に入って来た。あら、私は部屋から出ようと思っていたのに。

「どうしたの?」

「生きる屍って知ってますか?」

家令の質問の意味が分からない。

「物語で読んだ気がするわ……確か死体が動き出して……みたいなお話」

「私は今日、それを見ました」

ますます家令の言葉が分からず、私は首を傾げる。

「作り話よ?」

「この屋敷に居ましたよ。……あぁ、今は一応王宮へと仕事に出かけましたけど」

「……レニー様のことをそんな風に言ってはダメだわ」

私は苦笑いしたが、レニー様が生きる屍とはどういう意味だろう。

「目は虚ろで生気がなく、髪はボサボサ。それに酷い顔色でした。執事から『昨晩お二人の間に何かあったらしい』と申し送りを受けてましたけど……」

そう言いながら、家令はくしゃくしゃになった紙を私に差し出した。

「何これ?」

「原因はこれでしょうか?」

質問に質問で返す家令に苦笑しながら、私はその紙を開いた。

「……なるほど。これはアリシア様かしらね」

「例の平民のことですか?アリシア様にバレたのは痛いですね」

家令は少し顔を顰めたが、私を咎めるようなことはなかった。

「レオとは何でもないわ」

「分かっております。しかし、何か後ろめたいことがある……違いますか?」

家令は優しく私に尋ねた。彼は意外と鋭いところがある。

「……似てるのよ」

「どなたに?」

「元婚約者」

私の言葉に少しだけ家令は驚いた顔をしたが、直ぐに納得したように頷いた。

「なるほど。レイノルズ伯爵の御子息に……」

「ええ。似すぎていてびっくりしたわ。おじさまの隠し子かと思ったぐらい。もちろん違うとは分かっていたけど」

おじさまは家族をとても大切にしている。おばさまを裏切るようなことは決してないと私は断言出来た。

「それは……親近感も湧きますね」

「苦労をしているようで……放っておけなかったの。でもそれだけ。手を貸したことはあるけど、お金でレオをどうこうしようなんて思ったことはないの」

今でもレオに何とか手を貸せないかとは考えている。でもそれは、レオの叔父から受ける理不尽な扱いをどうにかしてやりたいという思いからだ。

「分かってます。奥様はそんなことをする方ではないことぐらい。ただ……あの社交クラブにはもう行かない方が」

「分かってるわ。招待されて行っただけだもの。自分から行く気なんてサラサラないの。……でもレニー様はどうしてそんなことを気にするのかしら?私のことなど放っておけば良いのに」

私の言葉に家令は残念そうな目つきでため息をついた。

「はぁ……。奥様も旦那様も鈍感とは。まぁきっと旦那様の方が早く気付かれた。私は今回の出来事を前向きに捉えることにします」

家令はそんなことを言って勝手に納得している。

「何を言ってる── 」

意味を尋ねようとした私に家令は気持ちを切り替える様に『パンッ!』と一度手を叩いた。

「さぁ!ハロルドがたくさんジャムと果実飴の為の果物を持って来てますよ!バザーの準備に取り掛かりましょう!」

家令の勢いに私は「え……えぇ、そうね」と答えることしか出来なかった。


バザーは明日だ。

私はハロルドと料理人と共にりんご飴といちご飴を作り、ジャム入りのクッキーとドライフルーツ入りのパウンドケーキを焼いた。……といっても私のメインの仕事はジャムの瓶を綺麗にラッピングすることだ。何故か料理は皆が私に任せてくれない。

「今回のバザーは午前中は貴族の方々、午後は街の人々を招待してるの。良い宣伝になるわ」

私の話を聞いてハロルドが尋ねる。

「そういえば、例の店の準備はどうなりました?」

「今、改装中。再来月……いや、来月にはオープンさせたいわ」

「今日、手が空けば見に行っても?」

ハロルドも王都にブラシェールの店が出来ると知って、興味津々だ。教会のバザーの手伝いを買って出てくれたのも、店の進捗の確認も兼ねているのだろう。

「フフフッ。準備が終わって手が空けばね。その為にもさぁ、手を動かして!」

そう言った私が包丁を握ろうとすると、その場にいた全員が全力で止めた。……クッキーの生地を切り分けようとしただけなのに……。

結局、全ての準備が終わったのは、もう日も暮れかけた頃だった。

「やっと終わりましたね」

「壮観だわ」

綺麗にラッピングされた品物を見て、私は微笑んだ。
厨房の窓から外を見る。日が傾き、そろそろ暗くなり始める。

「お店はバザーが終わってからにしましょうか」

「そうですね。今日は流石に疲れましたし」

そうハロルドは苦笑いする。

すると、家令が厨房へと顔を出した。

「夕食はいかがいたしましょう。旦那様はまだお帰りではありませんが」

私はレニー様に昨日言われたことを思い出して、また嫌な気持ちになった。……当分彼の顔は見たくない。

「先に食べましょう。待っていてはいつになるか分からないし」

帰って来る前にさっさと済ませてしまいたいのが、本音だ。

家令は少し微妙な顔をしたあと「畏まりました」と頭を下げた。

ハロルドと共にした夕食は和やかに終わった。レニー様はまだ帰って来ない。いつもより随分と遅い。
顔なんて見たくないと思っても、ちょっと気になってしまう。

そんな私にハロルドは言った。

「ソワソワしてます?」

「え?あ、あぁ……そうね、明日のバザーのことが気になって」

私は何となく誤魔化してしまった。

ハロルドは明日に備えて早く休みますと、頭を下げる。私も湯浴みでもするか……と思っていると、家令が慌てて私を呼びに来た。

「旦那様が……っ!」

ただならぬ雰囲気に私は不安になる。急いで玄関ホールに向かうと、片腕を三角巾で吊った旦那様がメイドに上着を手渡しているところだった。

「レニー様……!どうされたのです?!」

レニー様のその姿に、さっきまで顔も見たくないと思っていたことなど、すっかり私の頭から飛んで行ってしまっていた。
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