嘘つきな天使
「ほれ、彩未の分」と言って天真は優に二人座れる大きな窓枠に私を呼び寄せた。いつも一人で座る場所に私なんかが座っていいのかどうか悩んだが
「早く」と天真に急かされて私は慌てて向かった。
”そこ”は特別な場所なんじゃないか、千尋さんが生きているとき二人して雨の日にウィスキーを嗜んだじゃないか。想像だけが私の頭をまるで先が見えない線が網羅するように行き交う。
天真は例のごとくタバコを口に含み、しかしいつも火を点けることないのに今日ばかりは安っぽいライターでタバコの先に火を点けた。
これは……流石に言うべきか。タバコは妊婦にとってNGだ。
しかし
「千尋に言われたんだ。あいつタバコ嫌いだったから結婚するならタバコ辞めろって」天真が寂しそうに笑う。
そんな―――そんな、悲しそうな顔で無理やり笑わないで。
でも、今日だけは全部許せる気がする。
雨が全てを流してくれる気がした。
ちょっとの沈黙が訪れてきて私はウィスキーグラスを口に近づけた。けど、あれ?ウィスキーの匂いじゃない。これ、ただの麦茶だ。
色が似てるから気付かなかったけど。
「タバコは今日で最後にする。彩未のお腹の子に悪いしな」
「へ………?」思ったより間抜けな声が出てきた。
天真はタバコを咥えたままくしゃりと笑い「気づかないと思った?俺は何年産婦人科医してると思ってるんだ」
「え…でも……」何て返していいのか分からず戸惑って麦茶の入ったロックグラスを手の中で包んでいると
「最近やたらと眠そうにしてるし、体温がいつもより熱い。少しだが食の好みが変わって気がするし、彩未から言い出すのを待ってたけどお前なかなか言わないから」
き、気づかれてたの!?
「何で聞いてくれなかったのよ」と何だかすごく恥ずかしくて天真に責任転嫁をして睨むと天真は「はは」と乾いた笑い声をあげた。「彩未がいつ言い出してくれるか待ってた」と天真は無邪気に笑う。
「生まれてくる子は男かな、女かな」と天真は私のお腹をそっと慈しむように撫でる。
「ま、まだ分かんないんじゃないの?」
「そうだな、7週目以降じゃないと」
「ど、どっちが欲しい?男の子か女の子か」
「どっちでも。五体満足に生まれてきたら、俺、泣くかも」
「天真――――」
「だから今日はお別れだ。
千尋に」
天真はいつの間にか手にしていた”A”のカードを手にそれをタバコの先に付けた。
「それ……」
「ああ、これ?お前が侵入するために使った金田さんのカードだ。残念だが千尋のカードは警察が押収していったからとっくに俺の手元にない」
そう、だったんだ。
カードはきっと特殊なオイルが塗られてたに違いない。天真のタバコの先に付けただけで先からメラメラと炎が立ち上った。
「さらばだ、千尋。
ごめんな、幸せにしてやれなくて。
でも俺は幸せだよ。やっぱりあの雨の日の再会は千尋が彩未に会わせてくれたんだな。
俺には彩未が隣に居てくれるから。だから天から見守っててくれ」
天真は燃えるカードを少しだけ開け放った窓から放り投げた。
「ヤベ……タバコの煙が目に染みた……」と天真は左目をごつごつした手の甲で強引にごしごしと擦っている。
「天真――――泣いていいんだよ」
私が天真の筋肉質の肩を抱き締めると、
「泣いてねぇって。タバコの煙が…」
「はいはい。今日ぐらい素直になれば?」
天真はだいぶ残っているタバコの先を、古びたステンレスの灰皿に押し付け、私の頭を抱き寄せてきた。
「彩未、お前は俺の”エクスーシアイ”だ」