クズ御曹司の執着愛
「忠相は、そばにいてくれるでしょう?」
「私だけを、これからも愛していくって……言ったわよね?」

声はわずかに震えていたが、瞳は真っ直ぐだった。

「それが本心なら」
「私は、大丈夫」

忠相は一瞬も目を逸らさず、両手で伊織の手を包み込む。

「……本心に決まっている」

低く、迷いのない声だった。

「約束しよう、伊織」
「思っていること、不安なこと、確かめたいことは、必ず口に出す」
「誰に何を言われようと……俺には話せ」

伊織は少し驚いたように瞬き、やがて微笑んだ。

「……わかったわ」

忠相は腕時計に目を落とし、静かに息をつく。

「引っ越しを済ませておいて正解だったな」

首を傾げる伊織に、真剣な眼差しで続ける。

「俺たちのマンションは、プライバシーとセキュリティに関しては徹底している」
「今は……お前を守れる場所が、必要だ」

伊織は安堵したように微笑んだ。

「良かったわ。あなたの心配事が、一つ減ったのね」

「……ああ」

その落ち着いた声音に、忠相の張りつめた心がほどけていく。

「伊織……もう一つ」

「なあに?」

「入籍のことだ」

「……うん」

「できるだけ早く、届を出したい」

「……え?」

伊織は息を呑んだ。

「こんな状況で? どうして?」

忠相は、視線を逸らさない。

「婚約は、破棄できる」
「だからこそ、第三者が入り込む隙が生まれる」

一拍置いて、手を強く握る。

「だが、入籍は違う」
「お前が俺の妻になる。それが……伊織を守るための、最も強い選択だ」

その瞳には、独占ではなく覚悟が宿っていた。



伊織はまっすぐに忠相を見上げ、挑むように問いかけた。

「……お断りよ、と言ったら?」

忠相は一瞬だけ間を置き、ふっと口元を緩めた。
わざとらしいほど肩をすくめる。

「……クズ男につかまってしまった、と思ってだな」
「ぜひとも諦めて、嫁に来てくれ」

真剣な空気の中での不意打ちに、伊織は思わず噴き出した。

「……ふふっ、なにそれ」

笑いながらも、胸の奥がじんわりと温かくなる。
彼がどれほど本気で、自分との未来を望んでいるのか。
冗談めいた言葉にすら、それははっきりとにじんでいた。

伊織はそのまま、忠相の腕の中へと抱き寄せられる。

「忠相が、そんなにせっかちな性格だとは知らなかったわ」

「せっかち?」
忠相が片眉を上げる。

「だって。婚約したと思ったら、すぐ結婚だなんて」

「……嫌か?」

「そうじゃなくて。ただ……あまりにも急すぎて」

忠相は小さく笑った。
だが、その瞳は冗談ではなかった。

「急じゃない」

「……え?」

「二十年前の、あの日からだ」
「妻にするなら伊織しかいないって……ずっと思っていた」

低い声が、胸の奥に静かに落ちてくる。

「……伊織だけだった」
「俺と本気で向き合ってくれたのは」

その言葉に、伊織の胸がわずかに痛んだ。

「じゃあ……どうして、あのとき言ってくれなかったの?」

忠相は苦く息を吐いた。

「あのあと、お前はサークルを辞めて、会えなくなっただろう」

「それはね……」

伊織は少し遠い目をして続ける。

「インテリアの専門学校に行き始めたの」
「学費は自分で出したくて、バイトも増やしたから……サークルは続けられなかった」

「……俺の顔を見たくなかったんじゃないのか?」

「……数日は、正直嫌な気分だったわ」
「情けなくて、悲しくて」

小さく肩をすくめる。

「でも、忘れちゃった」
「あなたに再会するまで、本当に思い出さなかった」

忠相は驚いたように眉を上げる。

「……そうなのか」

「うん。私ね」
「嫌なことは、忘れる努力をするようにしているの」

「忘れる……努力?」

「そう。意識して手放すと、私の場合はちゃんと消えていくの」

静かな声だった。
忠相は深く息を吐き、抱き寄せる腕に力を込める。

「忠相は……あのあと退学したのよね」

「ああ」
短く頷く。

「伊織に言われて、目が覚めた」
「アメリカの大学に編入して、MBAを取った」

遠い記憶を辿るように続ける。

「その間、日本には戻らなかった」
「一度帰国したとき、お前には恋人がいたし……俺も、まだ未熟だった」

「……」

「結婚は考えていた」
「だが、お前にふさわしい男になるには、足りなかった」

深く息をつく。

「海外で経験を積んでいたところに、真兄から声がかかった」
「……それで、今ここにいる」

「そうだったの……」

伊織は複雑な思いで彼を見つめ、ふと問いかけた。

「でも……私に恋人がいたって、どうして知っていたの?」

忠相は迷いなく答える。

「全部知りたかった」
「……だから、人を雇っていた」

あまりに率直な言葉に、伊織は一瞬、言葉を失う。

忠相は彼女を強く抱き寄せ、真剣な眼差しを向けた。

「伊織。お前がいたから、俺はここまで来た」

「そんなことないと思うけど……」

「ある」

低く、揺るぎない声。

「お前に会わなかったら」
「俺は、何となく生きて、誰も愛さず、全部を流していた」

「お前に言われて、初めて人生に向き合えた」

腕に力がこもる。

「だから……もう誰のところにも行かせない」
「お前は、俺のものだ」

低く囁き、強く抱きしめる。

「……結婚してくれ、伊織」

伊織の瞳に涙があふれ、頬を伝った。
それでも、唇には笑みが浮かんでいる。

「……それ、懇願?」
「それとも命令?」

忠相は一瞬目を細め、ふっと笑った。

「両方だ」

短い言葉に、どうしようもない独占と愛がにじむ。

伊織は涙を拭いながら、くすっと笑った。

「あはは……」
「正直に言うと……結婚してもいいかも、って思えてきた」

その瞬間、忠相は堪えきれず伊織を強く抱きしめた。

「伊織……!」

胸の奥から絞り出すような声とともに、彼女を腕の中に閉じ込める。

伊織は息を詰めながらも、安心したように微笑んだ。

「……眠くなってきちゃった」

「もうひと眠りするか」

やさしい声に導かれ、伊織はベッドに身を横たえる。
忠相はそっとシーツを掛け、その寝顔を見守った。

やがて規則正しい寝息が聞こえ、忠相も静かに横になる。

週刊誌の記事。
佐藤絵里香と、その家族。
伊織を巻き込んだことへの怒りが胸に渦巻く。

だが今は――
彼女の髪に指をすべらせ、肩口へ腕を回す。

伊織は無意識に身を寄せ、彼の胸に顔をうずめた。

「……伊織」

愛おしさに満ちた声が、闇に溶ける。

二人の呼吸が重なり合い、
夜は、穏やかに、静かに、深まっていった。
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