クズ御曹司の執着愛
「……沢口常務」

一度は柔らかな呼び方をした颯真だったが、その表情はすぐに引き締まった。
視線が、社長のものへと切り替わる。

「けれど、会社の社長として――黙っているわけにはいきません」

声色が、低く落ちる。

「今回の件で、ホールディングスの信用が揺らぎかねない状況です。
取引先の一部は様子を伺っている。株主からも、不安の声が上がっている」

淡々とした報告口調が、現実の重さを突きつける。

「……個人の問題に留まらないことは、理解していただきたい」

忠相は一切視線を逸らさず、その言葉を真正面から受け止めた。
拳を静かに握りしめ、低く答える。

「承知しております。
私の至らなさが招いた事態です。必ず、責任をもって収束させます」

颯真の鋭い眼差しが、忠相を射抜く。
その横で、龍之介と美咲は言葉を挟まず、ただ場の空気を見極めていた。

やがて颯真は、ふっと視線を落とす。

颯真は短く息を吐き、視線を巡らせる。
そして、ゆっくりと美咲に向き直った。

「……ここから先は、佐倉さんにお願いしたい」

その一言で、会長室の空気が静かに動いた。


社長の言葉に、会長室の空気がわずかに揺れた。
同時に、忠相の胸に小さな疑念が浮かぶ。

「……そういえば」

抑えた声で、忠相は口を開いた。

「なぜ、この場に美咲さんが?
伊織に……何かあったわけではありませんよね」

その問いに、室内の視線が一斉に美咲へと集まった。

美咲は静かに背筋を伸ばし、まず颯真へ一瞬だけ視線を送る。
そして、忠相へと向き直った。

その声はいつもの冷静さを保ちながらも、どこか探るような深みを帯びていた。

「……沢口常務。いいえ、忠相」

一拍置いて、はっきりと告げる。

「成島純一郎を、覚えているかしら」

その名が落とされた瞬間、会長室の空気がぴんと張りつめた。

颯真が眉をひそめ、
龍之介は小さく目を細める。
真樹もまた、意味を含んだ視線を忠相へ向けていた。

「……成島? 純一郎……?」

忠相は眉を寄せ、わずかに首をかしげる。
耳慣れない名ではない。だが、顔も経歴も、どうしても浮かばなかった。

「……美咲先輩。
もしかして、大学のサークルにいた人間ですか」

恐る恐る口にすると、美咲は小さく頷いた。

「そう。成島建設の長男、成島純一郎。
あなたと同じ“御曹司”だった人」

その言葉をきっかけに、忠相の胸に、かすかな記憶が滲み出す。

大学時代。
同じサークルに所属し、家柄も立場も似ていた男。
周囲から比較されることも多かった存在。

それでも――
なぜか、顔は靄がかかったように思い出せない。

「……成島、純一郎……」

呟いた忠相の声に、再び沈黙が落ちる。

その沈黙を切り裂いたのは、真樹だった。

「今回の件の黒幕が――その成島純一郎だ」

一瞬で、空気が凍りつく。

颯真が目を見開き、
龍之介は腕を組んだまま、低く唸った。
美咲の表情にも、わずかな緊張が走る。

忠相は息を呑んだ。

「……成島が?」

「そうだ」

真樹の声には、揺るぎない確信があった。

「なぜ……成島が?」

戸惑いを隠せず、忠相が問い返す。

答えたのは、美咲だった。

「……怨恨よ」

「……えんこん?」

思わず聞き返す忠相に、美咲は静かに首を横に振る。

「伊織に対してではないわ」

そして、まっすぐ忠相を見据える。

「あなたに対してよ、忠相」

その言葉に、全員の視線が忠相へと集中した。

美咲は小さく息を吐き、遠い記憶を手繰るように続ける。

「大学時代からの因縁よ。
成島は、いつもあなたと比較されていた」

淡々とした口調が、かえって重みを増す。

「家柄、成績、ルックス、サークルでの立ち位置……
どれをとっても、“沢口忠相には及ばない”と」

忠相の胸に、ぼんやりとしていた記憶が、わずかに輪郭を持ち始める。

飲み会の隅。
無言でグラスを握り締め、笑顔だけを貼り付けていた男。

その姿を思い出した瞬間、背筋に冷たいものが走った。


< 39 / 65 >

この作品をシェア

pagetop