クズ御曹司の執着愛
「当たり前だ。俺ほどおまえを愛している男なんて、この世にいない」

伊織はくすりと笑い、軽く眉を上げた。
「すごい自信家ね。……本当に呆れるわ」

忠相はその笑みを真正面から受け止め、わずかに目を細める。
けれど声には、迷いも照れもなかった。

「おまえへの愛に自信があって、何が悪い」

言葉は鋭く、同時に揺るぎない盾のようだった。
忠相は一歩距離を詰め、そっと伊織の顎に指をかける。
持ち上げる仕草は強引なのに、乱暴さはない。そこにあるのは、独占と確信。

伊織はその目を見返した。
嘲り半分、戸惑い半分。けれど――守られていることを、どこかで認めてしまっている自分もいる。

(こんなふうに断言されると、心が揺れる。信頼と不安が重なって、答えがますます遠くなる)

「……愛される努力って、どうすればいいのかしら?」

忠相は即座に答えた。

「簡単だ。俺の質問に、答えればいい」

「……え?」

「今日の夕食、何が食べたい?」

思わず伊織の声が裏返る。
「……それと“愛される努力”に、どんな関係があるの?」

忠相は薄く笑った。

「俺がお前を愛していることを信じて、遠慮せずに欲しいものや、したいことを言う。
逆もありだ。したくないこと、嫌いなことも、ちゃんと言ってくれ。――それだけでいい」

「……それだけでいい、って言われても」
伊織は小さく息を吐く。
「それが一番難しい気がするわ」

忠相は一瞬だけ目を細め、静かに頷いた。
「そうだな。お前の性格じゃ、きっと遠慮が先に出る」

そして、声の調子を落とす。
「つまり俺が言いたいのは――伊織に、もっと心を開いてほしいってことだ」

伊織は言葉を失う。

「もっと言えば……俺を信頼してほしい」

沈黙。
伊織は視線を落とし、しばらく考えてから、ぽつりと答えた。
「……忠相のことは、信頼していると思うけど」

忠相は首を振る。
「表面的な信頼じゃない。もっと心の深いところだ。
理屈じゃなくて、守られる側じゃなくて、委ねることを含んだ信頼だよ」

伊織は答えられずにいる。

忠相はふっと空気を和らげるように続けた。
「――で。今夜の夕食のメニューは?」

半ば呆れたように、伊織が小さく笑う。
「……そこに戻るの?」

「戻る」
忠相は迷いなく言った。
「何事もステップってものがあるだろう」

伊織は眉を上げる。
「へえ。忠相って、案外理屈っぽくて慎重なんだ」

「当たり前だろ」
忠相は肩をすくめた。
「二十年を埋めていくんだ。必要な段階は、省略せずに全部踏む。
俺はそう思ってる」

「それって……急がないってこと?」

伊織が探るように尋ねると、忠相は即座に首を振った。

「いや、急ぐさ」
きっぱりとした声だった。
「だって、あとどれくらい人生が残っているかわからないだろう?」

伊織が少し驚いたように目を瞬かせる。

「じゃあ……」

「焦らないってことだ」
忠相は言い直す。
「意味は違う」

「ふうん……」

忠相は言葉を選ぶように、ゆっくり続けた。
「一つ一つを大切にする。でも確実に進む。
どんなステップも見逃さないためには――俺と伊織、両方がオープンにならないといけない」

伊織は黙ったまま、その言葉を受け止めていた。

「欲しいものも、嫌なことも、不安も。
格好つけないで出していく。そうじゃないと、どこかで必ず歪む」

しばらくして、伊織が小さく息を吐く。
「……でも、私は忠相みたいに、権力も地位も経済力も賢さもないよ」

自嘲気味な笑みが浮かぶ。
「対等にオープンになれって言われても、正直……怖い」

忠相の目が、ほんの一瞬だけ細くなった。

「だから言ってる」
低く、はっきりと。
「そういう表面的なものの話じゃないんだよ、俺は」

伊織は顔を上げる。

「肩書きも、金も、頭の出来も関係ない。
伊織がどう感じて、どう傷ついて、何を欲しがって、何を怖れてるか――それだけだ」

一拍置いて、少しだけ力を抜いた声で付け加える。

「……とにかく」

忠相は立ち上がり、スマートフォンを手に取った。

「腹が減ってたら、まともに考えられないだろう?」
ちらりと伊織を見る。
「オーダーするぞ」

伊織は思わず苦笑した。
「話、強引に切り上げたでしょ」

「違う」
忠相は肩をすくめる。

その言葉に、伊織の胸の奥がわずかに緩む。
(急ぐ。でも、焦らない……か)

まだ答えは出ない。
けれど、彼が「奪う」でも「押し切る」でもなく、「一緒に埋める」と言っていることだけは、確かに伝わっていた。

伊織は唇を尖らせた。
「……ウナギ」

「うな重か?」

「そう。それと……茶わん蒸しと、シジミ汁も」

遠慮がちに付け足した言葉に、忠相の口元がゆるむ。

「わかった。任せろ」

まるで重要な契約を交わしたかのような言い切りに、伊織は思わず笑った。
胸の奥が、じんわりと温まる。

(欲しいって言うだけで、こんなに嬉しそうにされるなんて……)



届いた料理を並べながら、忠相は誇らしげだった。
伊織は箸を取り、静かに息を吐く。

「……おいしい」

その一言に、忠相は満足そうに目を細めた。

「そうか」

その夜は、それだけで十分だった。
無理に埋めなくていい距離。
言葉にしなくても通じる温度。



そして――

入浴を終え、寝室に入った伊織を、忠相は黙って迎えた。
柔らかな照明の中、昼間の緊張はすでにほどけている。

ベッドに腰を下ろした伊織の頬に、忠相の指が触れた。
髪をそっと耳にかける、その仕草だけで、胸が小さく跳ねる。

「……伊織」

低く、熱を帯びた声。

「抱きたい」

迷いはなかった。
けれど、強制でもない。

伊織は一瞬だけ息を止め、それから静かにうなずいた。

「……うん」

その一言で、忠相は彼女を腕の中へ引き寄せた。
強く、けれど逃げ場を塞がない抱擁。

「本当に……私でいいの?」

不安が、最後に零れ落ちる。

忠相は即座に答える。

「伊織じゃなきゃ、意味がない」

額に触れるぬくもり。
重なる呼吸。
唇が触れる寸前で、夜は深く息を潜める。

伊織は目を閉じながら思った。

(私はまだ、全部を渡してはいない。
でも――この人の腕の中で、少しずつほどけていく)

二人の影は静かに重なり、
夜は、何も語らぬまま更けていった。
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