いつか、桜の季節に 出逢えたら
保健室の引き戸を開けると、優しそうな養護教諭が待っていた。

「橘さん、心配していたのよ。記憶喪失だって聞いて。ここでは無理なく過ごしてね。先生は仕事してるけど、気にしないで」

「ありがとうございます」

私の知らない人が、私のことを知っている。
この状況にに少しだけ緊張するけれど、暖かく迎えてくれる場所があるというのは、とてもありがたい。

今日は新学期初日なので、始業式とホームルームだけだと聞いた。

始業式には出ようかと思ったけれど、精神的負担になるかもしれないという配慮から、保健室登校となった。
学校からの課題のプリントを片付けるのが、当面の私の日課となる。

プリントを解きながら、先生に声をかける。

「先生、お仕事中すみません。ちょっといいですか?」

「なぁに?」

「私、どんな子でしたか?」

先生は、保健便り作成の手を止めて、私の座っている机の前に座った。

「……先生が知っている範囲でのことなら話せるけど、それでもいいかな?」

「はい。お願いします」

1時限目終わりのチャイムが鳴った。
始業式が終わったのだろう。
廊下から生徒たちの声や足音が聞こえてくる。

「橘さんは、生まれつき体が弱かったそうで、よくここに来てたの。その時に、家族とうまくいってないと聞いたわ。あまり口数の多い子ではないから、詳細は言わないのだけど……ご両親が再婚同士だから難しいこともあるんでしょうね。あなたはいつも、私が悪い、私のせいだ…って、自分を責めていたし、一人で抱え込むような子だったから、心配していたのよ」

何の理由かはわからないけれど、私自身が避けていたという話のことだ。
でも、今の私には記憶もないし、避ける理由もなくなっている。

「それなら、もう大丈夫みたいです。悩みの原因が思い出せないので、なかったことになってます。記憶喪失も、怪我の功名と言えるのかもしれませんね」

あっけらかんと言う私を見て、先生は一瞬驚いた顔をしたけれど、すぐに笑いだした。

「あははっ、橘さん、人が変わっちゃったみたい」

「あ、それ、紫苑くんにも言われました」

「紫苑くんって、橘紫苑くん? 本当に解決したのかしら。良かったわね!」

心配してくれていた先生が、ほっとした笑顔を見せてくれる。


今日は半日時制なので、あっという間に下校時間になり、紫苑が迎えに来た。

「じゃ、橘さん、また明日ね」

「先生、ありがとうございました。また明日」
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